●エリザベス・キューブラー・ロス博士の第6回・国際トランスパーソナル学会での講演。 (昭和60年4月、国立京都国際会議場にて)
皆さま、私はこのたび日本に来ることができて大変光栄に思っています。十五年前、子どもに別の国、別の文化、別の伝統を見せようと思って連れてきたことがあります。そして十五年後、戻ってきて気がついたのは国や文化が違っても根本的には全く何の違いもないということです。違いは外の形だけです。衣服、衣装、家は違っていても個としての人間はまったく変りません。
この会議の最初の数日で見たものは故郷を思い出させるものでした。故郷といっても実際は世界中のあらゆるところにあります。ズールーのヒーラーを見ていたら私の知っているアラスカのヒーラーと同じ言葉を使って同じような治癒のエネルギーを放つ同じ類の人間でした。矢を使った四隅のお清めはアメリカインディアンがメディスンホイールでやる儀式とまったく同じでした。ただ色彩や使う道具が違うだけでした。違うのは外の形だけなのです。内側にある人間は何千年も変っていないのです。そしてもう一つ、誕生と死も何千年もまったく変っていません。
誰もが科学や科学技術がどこへ向かっているのかという疑問をもっています。皆さまはすでにご存知でしょうか、私たちはいまたいへんな転換期にいるのです。世界はまさに科学と科学技術の世界から、真の霊性の世界へと移ろうとしています。そこで問題はどうやって未来を過去より良いものにしていくか、というところにあります。私は昨日一日を広島で過ごしました。今日ここで話す前に広島へ行く必要があったのです。アメリカやヨーロッパで死の話をするときにはナチスドイツを思い出します。私の瀕死の患者との仕事はそこで始まりました。
当時私はまだスイスから来たばかりの少女でした。スイスという国は平和の孤島で人生にたいした波風も立たないし何百年ものあいだ失業問題も人種問題も戦争もない国なのです。そういう国で育ったために私には人生の下準備ができていませんでした。
でも人生はそれなりには準備をしてくれました。三つ子のひとりとして私を生まれさせたのです。三つ子に生まれても私たちは物質的には完全に恵まれていました。かわいいお洋服もかわいい靴も素敵なお庭も物質はなんでもありました。それでも私たちにはなにもありませんでした。なぜなら、もし私が二歳か六歳か十一歳で死んでしまったとしても私とうりふたつのクローン人間がいるからです。今ここに立っているのが私なのか妹なのかさえはっきりわからないぐらいです。私たちは何でももっていて何でも共有しなければならない状態で育ちました。でも話をしているのは私で三つ子の妹ではない、ということを知っていて私を一人の人間として認めてくれる人が一人でもいないと私には何もありません。
先生たちが私たちの違いに気づいてくれないかと学校でありとあらゆることをやってみました。とてもいい子になったり、とても悪い子になったりしました。妹と私を合わせると天才になっていたことでしょう。でも先生たちはどの子が誰か知る気がなかったようです。公平にするため、小学校のあいだ成績はずっとオールCでした。こういうことが子どもの心にどんな影響を与えるかおわかりでしょうか?子どもからすれば本当に気にしてくれる人が一人もいないということになるのです。
十代に入って妹が初めてデートをしたとき、後ですごく調子が悪くなってしまって次のデートにいけなくなりました。この時です、私が妹の完全なあせりを見たのは。誰か他の人がボーイフレンドと出かけてしまうとボーイフレンドを失ってしまうかも知れないという彼女の恐怖が見えたのです。そして私が彼女にいいました「もし本当にそのデートに行けないんだったら私がかわりに行ってあげるよ。誰も気がつかないから」でも私たちは二人とも当然誰かが違いに気づいてくれるのを心の底で必死に望んでいました。彼女にどこまで行っているのかということまで聞いておきました。地理的な意味ではありませんよ。子どもというのはとても正直な人種です。もしかすると死んでいく人たちを除いては世界に残っている唯一の正直な人種かもしれません。私は彼女の代わりにデートに出かけました。で、家に帰ってきて気づいたのです。その彼がガールフレンドの姉とデートしたことに気づいていないことに。おそらくそれが私の人生ではじめて起きた波風だったでしょう。
そこで私は気づいたのです。愛がなければ、ふたりといない一人の人間として個人として認めてもらえないと物質的にいくら満たされていても全く何もないということに。それが私に与えられた人生最大の贈り物でした。というのはとても若くして家を出るしかなくなって、人生と出会ったからです。ドイツで戦争で破壊された広島の写真のような都市の生きざまを見たのです。九十六万人もの子どもが毒ガス室に入れられたメーダネック収容所へ行きました。赤ん坊や殺害された子どもたちの靴を車両一杯につんだ汽車を見ました。冬のコートの布地を作るためにドイツに運ばれる女性の髪の毛をいっぱいに乗せた車を何台も見ました。
私が興味を持ち疑問に思ったのは死や死ぬことではありませんでした。私の抱いた疑問は「どうして私やあなたのような大人が九十六万人もの罪のない子どもを殺してその同じ日に水疱瘡で家にいる自分の子どものことを気に病むことができるのか?」ということでした。一人のユダヤ人の女の子が答えを教えてくれました。彼女は私を見て両親もおじいちゃんもおばあちゃんも兄弟も姉妹もみんな毒ガス室で殺された、と語ってくれました。その後で彼女も押し込められそうになったのですが入りきらなくてすでに死者のリストに載っていたというのに外されたのです。彼女はその時誓ったのです。ここで起こった恐ろしいこと、人間の人間に対する非人道的な行動を世界中の人たちに語り尽くせる日までこの恐怖の館を離れないことを。しかし解放軍が来たとき彼女は気づきました。もしそんなことをしたら自分もヒットラーとかわりなくなってしまう。なぜなら愛と慈悲の種ではなく、憎しみの種を植えながら人生を送ることになるからです。
それから彼女は私にいいました。「あなたにだって同じことをする可能性がある」私はすぐに「いいえ、わたしは!」といいたかったのですが突然そうはいえない事が分かりました。アメリカインディアンのことわざにもあります「隣人のモカシンを履いて1マイル歩くまでは判断や批判を下すな」
何日かたってスイスに戻る途中何日もお腹に何も入っていませんでした。そして突然気づきました。もしパンをもった子どもが私の前を通ったらそのこの手からパンを取り上げてしまう可能性が十分あるということに。それから私は死と死ぬことに携わりはじめました。
その後私たちは何千人もの死に瀕している大人の人たちにたずさわってきましたがここ十年から十五年はずっと死につつある子どもたちにだけ携わっています。
私たちはみんな何から何まですでに知っています。ただ、たった一つだけ学ばなければならないものがあります。それは内側にあるその知識にどうやってふれていくかということです。これを自覚することはほんとうにとても大切なことです。子どもたちが近づく死の内なる知覚を他の人に伝えようとするときや、のちのち暴力とか自殺に発展しかねない未解決の問題を表現するときに使うのが歌や詩や踊りという普遍的な言葉です。
自殺はアメリカで六歳から十六歳からまでの子どもの死因の第3位になっています。日本での統計は知りませんが同じようなものでしょう。アメリカでは大人の人口の25%が近親相姦の中で育っています。また25%は肉体的、あるいは性的虐待を受けて育ちました。感情的な虐待はさておいての話です。これだけトラウマを受けてしまうと霊的なものに目覚めるのはほとんど不可能です。ですから私たちが瀕死の患者さんから学んでいるのは死の床に臥す前に何をすればいいかということです。
私の患者さんの多くはこういいます。「ロス先生、私はいい生活はしてきたけれどほんとうに生きたことがありません」そしてその人たちはあきらめと寂しさと苦い思いの中で死んでいくのです。死ぬプロセスも大体長く、引き伸ばされます。死ぬことを恐れたくなければ生きることを恐れてはなりません。精一杯生きれば10歳で死のうが50歳で死のうが105歳で死のうが問題ではありません。私たちがこの80年代に直面している悲劇を知らない、歴史の本を通してしか知らない次のジェネレーションを育てていく中で…25年ほどたてばわかるかもしれない、たとえばAIDSのようなものもまたあなたの目、そして私の目を覚ますために人類の前に差し出された人生の波風です。
死ぬ瞬間にあなたの心に浮かび上がってくるものはたった二つしかありません。その一つが人生で起きた波風です。もう一つは喜びの瞬間あなたが満たされた瞬間です。満たされた瞬間はほとんどの人の場合余りにも少なすぎます。「いい成績をとれば愛してあげる」とか「いい学校に入れば愛してあげる」とか「高校を卒業できたら誇りに思うよ」とか「息子は医者っていえたらどんなに鼻が高いだろう」などといわなかった人、無条件に愛してくれた人と心がつながったときの記憶、それが満たされた瞬間です。
この「何々すれば」という言葉は原爆以上に多くの生命を消し去ってきました。ゆっくりじわじわと死んでいくプロセスです。「愛しているよ…すれば」という条件付の愛で育った人は死ぬまで愛を買おうとするからです。でも愛を手に入れることは絶対にできません。どんな形であれ愛は買うことなどできないのですから。
瀕死の患者さんに耳を傾けていると人間が肉体、感情、知性、霊性という4つの次元で構成されていることがわかります。これまで他の講演者たちから幼児期に肉体の次元がいかに重要か、という話がありました。いわゆる原始的な文化はそれを良く知っていて赤ちゃんを袋に入れたり背負ったりしてからだから離しません。
肉体的な接触は破壊性や戦争や否定的なことを一切知らない次のジェネレーションの子どもを育てていく上で絶対に必要不可欠なものです。赤ちゃんとの体の接触が十分あれば、それは家の土台となり、その家は崩れることのないしっかりしたものとなります。私が新生児について語っていることは瀕死の患者にも通じることです。彼らも肉体的な不快感から解放してあげなければなりません。変な同情をせず経口鎮痛剤を24時間きちっと投与すれば不治の病に伏している患者は痛みを知らず意識をはっきりと持ちつづけることができます。
そうして肉体の次元の問題が処理されて初めて感情の次元の問題にかかわっていくことができるのです。これが現代社会の抱いている問題です。何故ならどういうわけか奇妙なことに人間の赤ん坊はみんな完璧且つ自然に生まれてくるのにも関わらず不自然な大人にされてしまうからです。人間には自然な感情は5つしかありません。ところが子どもが小学校に上がるまでにその自然な5つの感情はすべて不自然な感情に変えられてしまいます。
人間は無数の恐れや恐怖感を持っています。それは恐ろしく不自然なことです。エネルギーを枯渇させてしまうし、4つの次元の調和を取ることを不可能にしてしまいます。
私たちは子どもが泣くのを許しません。子どもに「また泣き虫になって」とか「大きい男の子は泣かないの」とか「泣き止まないとほんとうに泣くことになっちゃうよ」とかいいます。これでは子どもは黙ってしまうしかありません。そして恥、罪悪感、自己憐憫などの問題をたくさん抱えたひずみきった大人が生まれます。
私たちが未解決の問題と呼ぶこういった不自然な感情はいずれ肉体に影響を及ぼします。抑圧された深い悲しみは呼吸器系、胃腸消化器系に影響を与えます。怒りを表現させてもらえず「ママ、いやだ!」といわせてもらえないでお尻をたたかれたり罰を与えられたりすると誰だってヒットラーになってしまいます。のちのち怒りや恨みや憎しみの塊になってしまうのです。
嫉妬というのは自然な感情です。子どもが笛を吹いたり、踊りを踊ったり、本を読んだりするきっかけとなる感情です。でも私たち大人がそれを醜いものにしてしまうと嫉妬は競争心に発展し、とても否定的で醜いものになります。
私たちの社会でもっとも大きな問題になっているのが愛です。愛がもはや無条件の愛ではなくっているからです。罪悪感や条件つきの愛に凝り固まっている人は「だめです」といってしまえる勇気ある愛を知りません。「いいえ靴紐を結んではあげません、私にはあなたが自分でできることがはっきりと分かっているんだから」といえないのです。これが自信や確信の誕生です。自分の心の内なる決断力が生まれるのです。未解決の問題がまったくなく、1歳から6歳の間に不自然な感情が発生しなければ…この頃一生をだめにする基本的姿勢ができあがります。
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