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私の夢はAIDSにかかっている3歳児用の収容施設を始めることです。でもそれでは問題の解決にはなりません。ここ6か月ほどで私が学んだ最大の教訓はAIDSに関する自分自身の恐怖を越えてAIDS患者のワークショップを開くことでした。

痛みと苦しみと悲劇の渦中にいる35人の若い男性。みんなAIDSのさまざまな段階にいる人たちでしたが、その中の一人が完全に光り輝いていたのです。表面的にではなくて心の底から光り輝いていたのです。私はワークショップが終わってから彼に聞きました。「どうやってそんなに光り輝いていられるの?」って。するとその人はこのひどい病気にかかって初めて無条件の愛がどういうものかをやっと知ることができた、というのです。彼はとても懲罰的で批判的なアメリカ南部のキリスト教ファンダメンタリストの家庭に生まれ、家族は彼のライフスタイルものすごく反対していたと話してくれました。彼は家族を責めていたし、家族も彼を責めていました。家を出るときにはいいこと一ついえる状態ではありませんでした。

家を出た後も彼はますますひどくなりついには若くしてサンフランシスコの市立病院でAIDSで死にかかるはめになりました。だけど最後に彼は人間みんながすることをしたのです。何の違いもありません。生きていく下準備となる自分の人生で起きた波風、その波風のことを思い出しました。彼の人生にも波風はたくさんありました。父親が時間を割いて彼を釣りに連れていってくれたときのこと、母親にお尻をたたかれそうになったときおばあちゃんが静かに抱き上げててくれたときのこと。こういうことが人生の満たされた瞬間なのです。彼は突然気がつきました。自分の人生にも満たされた瞬間がたくさんあったことを。

そしてすでに時間の問題となっていましたが、死ぬ前に週末の帰宅許可がもらえないかと担当医に頼んでみました。どうしたことか、その医者には帰宅許可を出すだけの勇気があったのです。青年は何年も会っていないノース・カロライナの両親に電話をかけていいました。「おかあさん、ぼくガンで死にそうなんだ」(これが唯一の嘘でした)「うちへ帰ってさよならがいいたいんだ」母親はヒステリーを起こしませんでした。とても落ち着いて「最後にもう一度会えるの、楽しみにしているわ」といったのです。

それから彼は話してくれました。野原を横切って素晴らしい縁側のあるログキャビンに向かった様子。まずおかあさんが縁側に出てきて、少し後からおとうさんが出てきました。(いつも少しあとなんだ)おかあさんは昔と同じエプロンをかけ両腕を広げて彼の方に近づいてきました。そこで彼は恐怖に震えました。「どうしよう、頬のあばた、紫色の鼻、この拒絶反応を起こしそうな醜い顔を見たらおかあさんは立ち止まり、ぼくに触ることができないかもしれない」

でも青年はさまざまな人生の波風を通して、人生を脅威としてではなくチャレンジとして受けとめることを知っていました。彼は母親に歩み寄り、母親も彼に歩み寄りました。彼女は息子を抱き締めほほをすりよせながら耳もとでささやきました。「あなたがAIDSなのは知ってるのよ。大丈夫よ」

これは私にとっておそらくもっとも深遠な体験の一つだったでしょう。人間が無条件の愛とは何かを知ることができれば、そして判断や批判をせず、この愛を実行できれば世界の未来はすばらしいものになるでしょう。そうすれば時間がなくなる前に私たち誰もが世界の一部であること、まさに文字どおりの意味で兄弟姉妹であることがわかってくるはずです。最初にいいましたように違いは外側にしかありません。内側は基本的に同じです。ですから私はあなたがたが楽な人生ではなく波風のたくさん立つ満たされた瞬間の多い人生を送ることを心から祈っております。

ありがとうございました。

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