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今月のYRP

月例会の報告、というより感想を書きます。harabinの手控えのような物なので(横浜ロールプレイング研究会非公認)、あまり参考にはならないでしょうが、こんなことを勉強しているグループがあるんだということを知っていただければ、いいかなと思っています。

第320回(99/2/27@よこはまアーバンカレッジ)


 第2回特別研究会の日程が決まりました。5月22日(土)@アーバンカレッジの予定です。来月の定例会(3月27日)では正式に発表があるでしょうから、このページでもご紹介しようと思います。川幡先生が監督されるようだし、外林先生も体調がよければ来ていただけるようだし、心理劇のワークショップとしては最高の部類に入るのではないかな(他のものあまり知らないで、言ってますけれど)。
 さて、今月のプレイは、「ごっこ遊び」。林さんから、ごっこ遊びのできない子の話が出て、それを受ける形で「トランプ遊びの最中、雰囲気をこわして中断する子ども」の話題になりました。父親と三人娘がトランプをしていたのですが、父親が長女をからかうと、カードを投げ出して、中断。子どもの時に負けそうで泣いた、という経験は多くの人にあると思いますが、周囲の雰囲気まで壊すような中断というのはどういうものなのか、ということで始まりました。
 プレイ1は再現でスタート。監督の指示で、現実の父親(話題提供者)は観客として参加します。トランプの最中、父親はカードをなかなか抜かせないような、からかいを長女にしかけます。小学6年と5年、そして1年の姉妹ということですが、演者はすべて男性(そう言えば今月は女性の参加者なし)。実際の父親から見ると、演者の父親のからかい方は少し物足りない感じ。
 プレイ2は長女の役を、その話題提供者がとりました。harabinの思うところではプレイが深まるにつれ、再現性が低くなっていく反面、現象の本質が見えてくるようになるって感じなんですが、今回は再現性が高まっても、そういう掘り下げはなされていないように思いました。父親の演者の、長女に対する当たりが、からかうというか、優しい感じで、プレイ1とそう大きな違いが出ないようです。
 プレイ3は父親役を、実際の父親が演じます。これで、さらに現実に近づいてしまいました。そして現実と同じように長女の投げ出しが、起こりました。プレイ2まで、同じ場面で同じようなことをやっているのに、どうしてここに来て再現性が、高まったか、不思議でしたが、やはり父親のあり方が、この一件には大きく関与しているようです。
 次女を演じた林さんから、「次女としては張り合うことをやめて、父親に協力する感じになった」という指摘がありました。つまり、長女はそこにいない母親に取って代わる役割を演じようとして、新たに出現した母親の役割をとる次女とそれに協力するようなからかいを始めた父親に業を煮やしたというわけです。いわゆるエレクトラ・コンプレックスというやつなのかしら。
 フロイトの世界を体感したような気がします。

第319回(99/1/23@よこはまアーバンカレッジ)

 毎年恒例で新年のYRPは、メンバーによる「今年の目標」からスタートです。私は過去に「今年は遅刻しない」という誓いを何度かしては破ってきたので、こういう実現不可能のことを言うのはやめようと思ったのですが、あろうことか、「自分の不安の中身を見てみたい」みたいなことを口走ってしまいました。
 伊藤先生は「haveとbe」についてお話をしてらっしゃいましたが、なんだかよく分からなかったので、こんど聞いてみよう。川幡先生はやはりRPを何らかの形でまとめてみたいとおっしゃってました。それから定刻に始めたいとも。今日の一番ビリはharabinだったので、恐縮。

 さて、宣言通り、4時からプレイが始まりました。今日のテーマは「アルコール依存の人に寄り添った観点」ということで、前回まで比較的、周囲の人に向けての見方がなされていたのを、もう少し、「当人」に向けようという意図だったと思います。

play1は妹が訪ねてくる場面。卒業旅行のお土産のチョコレートを持ってきたりしますが、うるさがるだけです。play2はケースワーカーが訪ねます。シジミのみそ汁を持ってきますが、これもplay1と同様な展開に見えました。play3は何者でもない人が闖入します。ここで依存者は初めて反応を示します。今までは妹やケースワーカーによって「困った兄」「困ったケース」に固定されていた依存者が「何者でもない人」の登場によって、自分が「何者」であるかを演じなければならなくなりました。harabinにはそれが一人旅に出たときの解放感のようにも思えました。「何者でもない人」と「依存者」の乾杯を見たとき、ほんとにそのお酒がおいしそうでした。

第318回(98/12/12@よこはまアーバンカレッジ)

 さぼっていたらもう1年もたってしまった。この間に、川幡先生はインターネットに接続し、伊藤先生も自分の目でやっとこのページを見られたようだ(このページがきっかけで、TV東京の取材も受けているのにね)。「最近、更新してないねえ」なんて言われると、「今までは、関係ないって顔をしていたのになあ・・・」などとも、思う。まあ、しかし少しは更新してみようと言う気になるものだから、不思議なものだ。見られていると思うと、張り切るものなんですかね。
 さて、今回は引き続き、アルコール依存の問題。と言っても、harabinは先月休んだので(声が全く出なくなって、仕事にも差し支える状態だったんですよ・・・)、前回のことはよく分からないのだが、前々回は鈴木さんがキッチンドランカーを演じたから、それを受けてのことだと思う。今日は珍しく川幡先生のレジュメがないので、ちょっと様子が分からないのです。
 分からないまま、アルコール依存の兄を持つ弟を演じる。設定は、アルコール依存で体重が30sも減った兄を見舞うという形。妻子にも見放され、身よりは弟一人(これがharabin)。兄には伊藤先生を、私が指名。伊藤さんには、一部に社会的パンチドランカーなどと、失礼なことを言う人がいるので(山内氏命名・一説に人間サンドバッグとも呼ばれる・常に貧乏くじをひかされ続け、ひどい仕打ちを受けながら、まったくめげないところからなのだという)、つい私も調子に乗ってしまう。

 play1は、弟が食事を持って訪問。話が煮詰まると兄は酒を飲み出す。play2はその3ヶ月後、相当重症になり、食事もとれない状態。弟は入院を勧めるが、兄は受け付けない。弟の異物を扱うような態度に、反発を感じたようだ。play3は弟を換えて、ヤング石川くんが兄を尊敬する弟を演じる設定。しかし尊敬する部分が難しく、play4でしきり直し。酒を飲みたがる兄に飲ませてしまう弟を演じる。play5、6はアダルト石川氏、尊敬の度合いを高める。しかし、兄の「なんでも人に頼りやがって」という言葉をみんなが聞き逃したという指摘があって、録音を聞き直す。監督の指示で弟が肩をもみながら、兄の過去を慰労する。ここで、再びharabinが弟を演じる。
 両石川氏のplayで、アル中の兄の背後にある歴史を見る視点を得た弟は、兄の背後に空いた空洞に、栄養ドリンクや灯油をそそぎ込む。ドリンクは吐かれてしまったけれど、灯油はオヤジの形見のストーブに火を灯したみたいだった。アル中になった兄を、微弱な自我の持ち主として、さげすみ、哀れんだ弟は、play7に至って、やっと対等の自我として位置づけるところまで来たようだ。

第307回(98/01/24@よこはまアーバンカレッジ)

 harabinは昨年9月以来の参加。ちょっと考えることがあって休んでいたのだが(嘘。サッカーに発狂していた)、久しぶりに参加してみると、脳味噌の普段使わない部分を動かしているようで、辛い。それに今日は珈琲焙煎屋に寄ってきたので、遅刻。(コーヒーは研究室で飲んでいただくための貢ぎ物。ただで、これだけの勉強をさせてもらっているのだから、このくらいの貢ぎ物は当たり前だと思う。ただし、このコーヒー、質はいいけど市販の半額。戸塚区日限山の焙煎屋さんのもの。職場のコーヒー係もしてるので、合わせて買ってくる。)

 と言うわけで、話題にまったくついていけず。前回の振り返りをしているのだが、さらに12月に行われた心理劇学会のプレイが下敷きにあるようで、手も足も出ない浦島太郎さん。前回のプレイは「志望校を高望みする子」という内容で、相変わらず鋭い解釈が行われている。学会で発表された他のグループは解釈というものが欠けているようで、今日はその重要性が再三話題になる。しかし、眠くなって意識を失ってしまった。小さい頃見た絵本の、玉手箱を開けた太郎さんも眠っているような顔をしていたけれど、同じような状態なのかも知れない。

 今日の監督Iさんは小学校の先生。教室でもロール・プレイングを実践されている。実践上の悩みを話したら、指名を受けた。監督をやるのは一番勉強になるけれども、これはほんとうに辛い勉強。立ち直るのに2ヶ月はかかるもんなあ。日本代表加茂監督の能力を云々するけれど、この研究会でRPの監督を経験したら、物が違うとは言え、簡単には無能のレッテルなどはれません。まあ、I先生はベテランだから平気だろうけれど。

 ウオーミング・アップの中で、家裁調査官のMさんから「遺産分配を巡って正当性を主張する兄弟」の話題が出る。harabinも指名を受けて、発言をするが「何人か兄弟がいる中で引っ込む人ってないですか」と間抜けな質問。監督を戸惑わせるばかり。児相心理判定員のHさんが方向をつけてくださって始まる。

 演者はharbinと調査官のMさん。遺産分配でMさん演じる兄が、家に金を入れていたことを根拠に高配分を要求(というより宣告)。harabin演じる弟は自分の正当性を主張しなければならないが、うまく演じられない。どこかに現実の自分が入り込んで(やはり独身の弟がいるという現実がある。兄の言い分になんとなく反論ができない)、どうも自由になれない。Mさんも母の存在を出してしまったりして、物語の一貫性を失う。監督の指示を守らない演者がそろっては監督も手の下しようがなかろう。

 川幡先生の指示で、役割交代。今度はharabinが兄。こういう場合いつも戸惑うのは、前の演者が言ったことの責任をとらなければならないこと。なにか自分が二つに引き裂かれるような感じがして気持ちが悪い。話題はお金の多寡よりも家を誰がとるかという問題になってしまう。兄は昔、家にお金を入れていたことを理由に正当性を主張するし、弟は今自分が親の面倒を見ていることを盾にする。家を象徴にして、母親の膝を争う幼い兄弟をトレースしている感じ。

 心理判定員のHさんから、この兄弟の関係の再構築はどうなっていくのだろうかという提言がある。Hさんらしい、愛情深い方向性。川幡先生もそういう旨の発言をなさる。これは珍しいと思った。先生はこう言うときは主に憎しみの方を取り上げるはずだから。(後でしっかり「憎しみ」も考えねばならないとおっしゃったけれど)

 偶然にせよ、現実を突きつけられた感じで驚いている。そして、自分がなるべく触れないようにしてきた問題が白日の下に照らされたようで、内心慄然とした。愛と憎しみと、果たして兄弟関係の再構築はなるか。難しい問題である。


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