なくなれ!厚木基地のページ 2010年9月更新   ご意見・ご感想はt-arai@cityfujisawa.ne.jpまで

<構成> 1,厚木基地とはどんなとこ?
     2,厚木にないのになぜ厚木基地?      神奈川の米軍基地もご覧ください。
     3,周辺住民を苦しめる爆音とは?      
神奈川県の14カ所の米軍基地を説明してます。
     4,NLPとは?
     5,厚木基地爆音訴訟とは?
     6,厚木基地はなくならないの?
     7,厚木基地をめぐる米軍機事故は?
     8,大和市上草柳での墜落事故とは?
     9,1977年横浜市緑区での墜落事故とは?  
     10,椎葉さん一家による訴訟の経過は?


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977年横浜市緑区での墜落事故
についてはパパママ・バイバイのページで詳細を掲載しています。

 当時小学生だった時に、この事故を目撃された方からのメールを掲載してあります。

1,厚木基地とはどんなとこ? 
 面積5.1kuで神奈川県最大の米軍基地。旧日本海軍が1931年に相模野海軍航空隊(厚木海軍航空隊)の基地を建設。敗戦後の8月30日、連合軍司令官マッカーサーが降り立った所としてしられる。その後、アメリカは厚木飛行場を接収し、1950年、米海軍厚木航空基地を正式に発足。1971年、「米海軍厚木航空施設」との「海上自衛隊厚木航空基地」として日米共同使用になった。
 1973年、米海軍第7艦隊の空母ミッドウェーが横須賀を母港にして以来、空母航空部隊の支援基地としての役割を担っている。西太平洋艦隊航空司令部があり、米海軍航空部隊の拠点にもなっている。
 現在、滑走路の管理や管制業務は海上自衛隊が行っている。普段は海自のP-3C(対潜哨戒機)などがよく離着陸している。2,438mの滑走路が1本ある。
 2008年、横須賀を母港とする空母は空母キティーホークから原子力空母ジョージワシントンに交代。ジョージワシントンが横須賀に入港中は艦載機が駐機・訓練飛行する。原子力空母ジョージワシントンの主な艦載機は、空対空ミサイルを装備して核弾頭も搭載できるF/A-18Cホーネット戦闘攻撃機、F/A-18E・Fスーパーホーネットなど。一機当たりの爆音は以前より大きくなっている。

2,厚木にないのになぜ厚木基地?
 厚木基地の住所は瀬市無番地。行政区分上は綾瀬市(3.8ku)と大和市(1.3ku)にまたがる。
なぜ旧日本軍は名称を「厚木」にしたか。軍事上、所在地を欺くため、「大和」にすると戦艦大和や奈良の大和と混同するため、天皇制下で「大和」の名称は畏れ多いため、近隣の厚木町の方が全国的に知られていたため、など諸説あり。

3,周辺住民を苦しめる爆音とは?
 1973年の空母の横須賀母港化以来、大和市綾瀬市など基地周辺の住民は艦載機の爆音被害を受け続けている。とくに滑走路北部の大和市上草柳付近は離陸上昇地点になるため爆音がひどい。綾瀬市も離着訓練時の旋回ルートになっているため爆音が大きい。
 1982年からは厚木基地でのNLP(夜間連続離着陸訓練)が開始され、受忍の限度をはるかに超える苦しみをうけることになった。NLPをはじめとする艦載機の飛行訓練は、年々はげしさを加え年間騒音測定回数(70db以上が連続5秒以上のもの)は3万回以上が常態化した。湾岸戦争<1990〜91年>直前には4万900回をこえる記録をつくった。
 爆音は平均しても100db(電車通過時の線路わきに匹敵)前後あり、昼間は学校の授業が中断したり保育園では園児が昼寝もできず、怖がって保母さんにしがみついてくるという。もちろん高齢者や病人などへの影響も深刻で、血圧があがったとか気分が悪く吐き気がするなどの苦情がよせられている。
1976年以来、爆音による被害について、飛行差し止め・賠償請求の訴訟が続いている。

4,NLPとは?
 滑走路を空母の飛行甲板に見立てて、艦載機が夜間にタッチ・アンド・ゴーをくり返す着艦訓練。厚木基地の場合は、日没後から10時ぐらいまで行う。
 タッチ・アンド・ゴーは戦闘機の車輪が滑走路に着くと同時にエンジン全開で離陸する訓練。空母では艦載機が艦載機後部にあるフックを艦のワイヤロープにひっかけて停止する。ひっかけるのに失敗した場合は再び急発進して離陸しなければならない。高度な技量を必要とするため、空母の入港中は厚木飛行場の滑走路を空母の甲板にみたててタッチ・アンド・ゴーを実施することになる。そして、最も高度な技量を必要とされるのが夜間の離着艦であり、空母が出港するまえにパイロットは、平均24回のタッチ・アンド・ゴーをおこなうことが義務づけられている。

5,厚木基地爆音訴訟とは?
 1960年、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)が結成された。69年、基地滑走路の北側でタイヤを燃やして米軍機の飛行を3日間止めたことがあった。
 76年、爆同は米軍機の飛行差し止めと損害賠償を求めて第一次厚木基地爆音訴訟をおこした。95年、第一次訴訟の差し戻し審(最高裁)は飛行差し止めを却下。しかし、不十分な防音対策を指摘し、爆音被害は住民の受忍限度を超えるとして、国に1億600万円の賠償金支払いを命じた。
 84年におこした第二次訴訟も99年高裁が損害賠償を認めた。97年におこした多数の原告による第三次訴訟は2002年の横浜地裁判決、2006年の高裁判決でも損害賠償を認めた。内容は約404000万円の賠償金の支払いを国に命令したものだった。


6,厚木基地はなくならないの?
 政府は、三宅島への代替飛行場建設を検討するが島ぐるみの反対運動で計画がすすまず、暫定措置として小笠原諸島の硫黄島にNLP用飛行場を整備し、93年に完成した。
 硫黄島の施設は、25機分の駐機場しかない。艦載機分の駐機場が足りないため、硫黄島で訓練が実施されても、厚木基地での爆音の軽減については「目に見えた形で減ったとは言えない」(綾瀬市基地対策課)もので、その後も騒音測定回数は年間3万回を下らない。
 硫黄島でNLP訓練をしても厚木基地に戻るのは夜中になり、住民が寝静まった深夜に爆音をとどろかせての帰投ということになる。
 大和市は空母が横須賀に入港する前に厚木基地に艦載機が飛来するのではなく、直接、硫黄島に飛び、空母が出港したら硫黄島から直接空母に帰れという、いわゆる「直結方式」を要求している。
 しかし、米軍が家族の住む環境もない硫黄島にパイロットなどの乗組員を行かせたままにするはずがないので実現性は低い。司令官は「厚木基地から180km以内に簡単なものでもよいから訓練場が欲しい」といっている。
 2005年10月の米軍再編協議で、厚木基地の空母艦載機部隊を山口県の岩国基地に移転すると発表。しかし、受け入れ先の岩国市は反対を表明している。

7,厚木基地をめぐる米軍機事故は?
 神奈川県内で発生した米軍機による事故62件のうち、日本国民が死亡した事故だけでも4件11人となっている。大きな事故として、1964年の大和市上草柳での墜落事故1977年の横浜市緑区での墜落事故などがある。

8,大和市上草柳での墜落事故とは?
 1964年9月8日午前10時58分ごろ、米空母ボンノム・リチャードの艦載機F-8Cクルセーダー戦闘機が厚木基地を離陸直後、エンジンの故障で大和市上草柳の館野鉄工所に墜落、大惨事となった。
 工場など家屋4棟が全壊し6棟が損傷をうけたが、工場で作業中の経営者の館野正盛さんの長男(当時25才)と三男(同19才)、従業員の3人が即死、次男(同23才)と従業員の2人が入院先で死亡した。
 補償問題では、神奈川県が工場の移転先の土地を払い下げる約束をしたので示談に合意したが、それが実行されず館野さんが提訴、1982年に国が補償金の追加支払いすることで和解となった。この事故での刑事処分は不起訴となった。

9,横浜市緑区での墜落事故とは?
 1977年9月27日午後1時20分、岩国基地所属のRF-4Bファントム偵察機が、千葉県沖の空母ミッドウェーにむかって厚木基地を飛び立って2分後、左エンジンの故障により火災が発生、横浜市緑区(現在の青葉区)荏田の住宅地に墜落。爆発・炎上した。
 この事故で3才と1才の幼い兄弟が入院先で死亡、母親の林和枝さんは全身火傷で入院加療をつづけたが4年4か月後に死亡した。その他、重傷3人、軽傷4人、家屋全焼2棟、損壊3棟の被害がでた。
 この事故でパイロット2人は、パラシュートで脱出し、事故の連絡をうけて厚木基地から現場に飛んできた海上自衛隊の救難ヘリコプターは、大火傷の負傷者を放置して無傷のパイロットだけを救出して厚木基地にもどった。
 事故発生後、米軍と自衛隊からは消防署への連絡は何もなく、消防署が知ったのは事故を目撃した市民からの通報によってであった。
 事故現場では、事故機の残骸などの整理には米軍があたり、日本の警察は立ち入り禁止の制限をおこなっていた。証拠のエンジンも米軍が本国に持ち帰ったため、証拠の収集もできないのが実態であった。
詳細はパパママ・バイバイのページ

10,椎葉さん一家による訴訟の経過は?
 横浜市緑区での墜落事故で重傷を負った椎葉悦子さんと夫の寅生さんは、米兵パイロットらを業務上過失致傷罪で告訴したが、日米地位協定で第一次裁判権が日本側にないことと、起訴できるだけの証拠がないなどの理由で不起訴となった。
 1980年、椎葉寅生さん一家は当時未成年の民生君、かおりちゃんをふくめ、4人で国と米兵を相手とする民事訴訟に訴えた。そして7年後、横浜地裁で「米軍人にも日本の民事裁判権が及ぶ」との判決がだされた。
 この裁判で大きな障害になったのも日米地位協定である。つまり、公務中の米兵らの犯罪の第一次裁判権は米軍側にあり、また公務中かどうかの判断も米軍側にあるということである。
 しかし、この裁判の判決が「合衆国軍隊の構成員が公務中の行為によって日本国内で損害をあたえた場合でも日本国の民事裁判権に服するものであり、米兵パイロット2人は被告として適格」だとしたことは画期的であった。
 当時の新聞各紙も「『安保の壁』に風穴が開いた」(朝日) 「報われた苦難の日々」(読売) 「国蒙賠償認める〜民事裁判権の判断初めて」(毎日)と報道した。

<参考資料>
基地の読み方・歩き方 (「いのくら」基地部会編 明石書店)
綾瀬と厚木基地 (綾瀬市)
<参考リーフレット>
厚木基地の騒音状況 (綾瀬市基地対策協議会)
神奈川の米軍基地17(神奈川県渉外部基地対策課)
神奈川の米軍・自衛隊97年版基地ガイドブック (神奈川県平和委員会編)
わたしたちはわすれない米軍機墜落事件
(横浜・緑区(現在青葉区)米軍ジェット機墜落事故20周年行事実行委員会編)