東西文化の関係の意外性

東西文化の関係の意外性の事例として、文学、芸術、宗教の下記3テーマをとりあげ考察しています。


ガリヴァ-旅行記と日本

 御存じ「ガリバ-旅行記」は、小人、巨人、人獣、馬など人間社会を極限まで変化させた架空の国へ主人公を漂流させます。そしてなぜか実在する国である日本を登場させます。日本は、ヨーロッパから見ると東端にあり、鎖国とともに「踏み絵」という徹底した反キリスト政策をとる国でした。
 キリスト教のドグマと文明に毒された当時のヨーロッパは、腐敗、闘争、陰謀にあけくれており、キリスト教とは無関係な新大陸や東洋における日本などの方がはるかに平和で幸福で、一種の道徳秩序が行われている「自然世界」とスウィフトは考えていました。この東端の日本にこそ当時のヨーロッパにはない「望ましいもの」をみていたのです。
 この「望ましい」日本を、18世紀初頭のヨーロッパに紹介し、スウィフトの「ガリバ-旅行記」のストーリー作りに影響を与えたのが、三浦按針(W.Adams)やケンペルではなかったかとする小論文「Gulliver's Travels and Japan(ガリバー旅行記と日本)」があります。
 ケンペルの「日本誌」までスウィフトが直接参照しえたかは、不確かですが、「ガリバ-旅行記と日本」のテーマを追跡すると、日本と西洋文化のそれぞれの個性が対等に交流されていた時代に遡ることが出来ます。
「18世紀初めの10年だけで、日本に言及した文献は200を優に越えることが確認されている」(島田孝右著「日本関連英語文献書誌」、岩波書店「図書」2013.9)と言われている。

桂離宮とモンドリアン

モンドリアンの抽象画と桂離宮の建築様式は、視覚芸術と建築芸術のジャンルに違いがありますが、矩形、直線、分割、比例などの構成美を追求している点で酷似しています。

聖フランシスコと一遍上人

聖フランシスコと一遍上人はいずれも、己の「一切を捨てさる」という極限の実践をした宗教家であります。中世の巨大組織化したキリスト教会から、無所有の原始イエス時代への回帰を求めた聖フランシスコの思想は、共同体から都市へ溢れ出てくる無縁となった人々を救済し「天の家」を作り上げることにありましたが、まさに、ほぼ同時代に、直接交流の無かった日本で類似の宗教体験をしていた一遍上人が存在しました。人間の営みの根源の共通性に改めて驚かれされます。