森田療法について、我々の試行錯誤

まず初めに、神経症とは何か?これが大問題ですね。
既に国際分類から神経症という名前は消えています。
私どもはその点ではあまり診断にはとらわれていません。 
やる気があって、治療を希望される方で、
我々のみれる範囲の方ならまずは引き受けて観察しています。
ですので、診断学的にはかなりいろいろなものが入り込んでいるわけです。
当然の結果としまして、失敗する例もございます。
御当人の我慢が続かない場合、やり方がどうしても合わない場合、
治療中に病状が変化し、我々のみれる範囲を越えてしまう場合、
もともと治療対象ではない方が紛れ込んだ場合、などがあります。

私どもは森田の神経症をとらわれという心の病的な偏りと考えています。

精神医学の歴史の流れのなかで、森田は家庭療法という観点で、
何人かの患者さんを自分の生活範囲に同居させて経過を観察し、
併せて治療的な試みをなしていたようです。

当時は薬とて今ほどは無く、精神科は精神病者の収容を専門としていました。
精神医学は診断学、分類、観察と記述を専らとし、研究は脳の病理学、
精神病理学、精神分析も入ってきたばかりだったようです。
そのころもドモリ、赤面恐怖、対人緊張などは頻繁に見られたようで、
あまり精神科へは来ないようで、ひと頃、電信柱の広告にも見られましたが、
民間療法が幅を利かせていたようです。最近はさすがに電柱広告は
目にしなくなりました。

森田は学究肌の人で、憑衣現象に関する優れた論文をはじめ、
多くの記載が見られます。
読んでみますと、非常に、何にでも興味を持ち、分析し、
考えを纏めるのが卓越していたように見えます。
もう一つは、温厚さと、基本的に人を信じ、慈愛の念がとても
強く感じられます。
重度の精神病者に関しては、収容を始め、当時の精神医学的方法の
試みをなし、学問的にも優れた業績を残し、軽度の、一緒に生活できる
程度の患者さんについては、生活を共にして観察し、治療的な試みを
なして、纏められたのが森田療法の原点だと考えています。

私どもは学究肌の人間ではありません。単なる実践家として、
自分の生活範囲に患者さんを同居させて、共に生活しながら
観察と治療的な試みをなしています。
これは気と心を使います。人間と人間として相対する、
いわば全人的対応が要求されます。
言っていることとやっていることが一致していなくては成り立ちません。
そして、なによりもカミサンが重要です。この点では森田先生も
同じことを言っています。
その様な治療的試みですので、対象は限られます。
まず、共同生活のできる人でないと適いません。
しかも病識がしっかりとあり、そのメカニズムに関する考えが、
ある程度我々の理論と共通したものを持ち、治したい意欲が強く、
そのために不自由を忍んで、努力してゆけることが条件となります。
我々との信頼関係も是非必要です。そして、いくばくかの経済力も必要です。

森田の神経症は精神病ではありません。人格障害でも、
ヒステリーでもありません。
「とらわれ」という心の変位に陥った人の、その変位をただすのが
森田療法の原型ではないかと考えます。
だから、森田のような人の所で、臥褥を経て作業療法をやって行くと
森田の考え方に心身ともに転換できるのだと考えます。
あとは実践してゆく内に我がものとなしてゆくのでしょう。

私どもはこの森田療法を親父の代に初めました。師匠は竹山先生です。
森田先生の直弟子です。私の代になってから16年になります。
一人一人の患者さんとは当然ながら長いおつきあいになる人も多く、
まだ治療が完結していないような人もたくさんおられます。
そうかと思うと、森田の原型どうりに、3カ月で完治した方々も
少なからずあります。
ですので、精神科の特徴かも知れませんが、統計処理にはのりそうも
ありません。まだ、一人一人の症例の蓄積という段階を出ていません。
試行錯誤の積み重ねの毎日であります。
これが結構おもしろくて、一生続きそうです。



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