〔新刊出版案内〕
山影冬彦著

漱石の俳諧落穂拾い
 
知られざる江の島鎌倉湯河原句 漱石異説

                                            
彩流社

四六判 200頁 予定価格2100円 2012年4月刊行


   漕ぎ入れん初汐寄する龍が窟   漱石

 この漱石句が江の島詠であることをつきとめながら、漱石と神奈川の関係の一変を期す。
 本書は、『タケタのタタリ 湘南蛇物語』で作品を虚構化するのに活用した漱石俳句を、俳句本来の姿に還元して論じたものである。そこには驚くべきいくつもの発見=落穂拾いが待ちうけている。漱石の落穂拾いを通じて今まさに漱石と神奈川の関係が一変する。未完の大作『明暗』を解き明かす鍵も垣間見えて来る。


目次

★第一章 俳諧事始め
写生句の視点  漱石の江の島体験 その一  漱石の江の島体験 その二  もう一つの江の島体験  駄句だから見過ごされた?  趣味は見過ごしの発掘  見過ごし発掘例  期待は二匹目の泥鰌  調べは芋づる式

★第二章 漱石と江の島句――「龍が窟」をめぐって
見過ごされた句  注釈と分類  句意  作句の環境  研究者による扱い  不認定のいわれ  子規の反応  『俳諧博物誌』での扱い  句の真価は雄健  地元での受けとめ方   最新の漱石と江の島情報  『旅する漱石先生』の場合  句碑の問題  観光名所案内小冊子類より  小泉八雲『知られぬ日本の面影』より  当時の江の島への交通手段  なぜ江の島へ行ったか  鎌倉からの眺め

★第三章 漱石と房総詩――『木屑録』と米山保三郎
『木屑録』の舞台   江の島絡みの中村是公の滑稽  『木屑録』に米山保三郎登場の理由  『木屑録』に即して  問題箇所  連想を誘発する共通項とは  江の島と房総半島の類似性  連想の糸  再び『木屑録』の大舞台  推定のまとめとさらなる推定

★第四章 再び漱石と江の島句――「龍蟄す窟」をめぐって
もう一つの江の島詠  句切り方で見えるもの  その実米山保三郎悼亡句  図解『龍蟄す窟』  漱石の漢詩趣味  漱石の悼亡句  米山保三郎対正岡子規  発掘調査の必要性  従来知られていた句  米山保三郎悼亡句のまとめ

★第五章 漱石と鎌倉句――甦る悼亡鎌倉三句
漱石の鎌倉体験 小説に描かれた鎌倉  俳句に詠まれた鎌倉  漱石鎌倉二〇句  外した連句  注目すべきは明治三〇年作  まだある米山保三郎悼亡句  「法師死ぬる日」とは  まだまだあるか米山保三郎悼亡句  謎めく句会稿の紛失  予告『夫婦で語るハイカイの謎』

★第六章 漱石と湯河原句――『明暗』の陰に隠れて
付け焼き刃の弁  漱石と湯河原  『漱石先生大いに笑う』の指摘  漱石湯河原十五句  考察の手法としてのモンタージュ手法  漱石十五句の風物  湯河原の風物  湯河原句とする根拠  写生句としての鑑賞



各章の概略

第一章 俳諧事始め  漱石句として知られる「漕ぎ入れん初汐寄する龍が窟」が写生句としての江の島詠であることが見過ごされ、落穂となっている現状から説き起こす。

第二章 漱石と江の島句 「龍が窟」をめぐって  「漕ぎ入れん〜」の句が江の島詠であることを考証しつつ、漱石と急逝した米山保三郎(学生時代の漱石を文学へ進路変更させた人物)との交遊に論を進め、漱石が米山を「蟄龍」と呼んだことを紹介する。

第三章 漱石と房総詩 『木屑録』と米山保三郎  漱石の房総紀行文(漢詩文)である 『木屑録』にある米山への言及から、「窟の龍」を剔出する。

第四章 再び漱石と江の島句 「龍蟄す窟」をめぐって  「龍が窟」 「蟄龍」 「窟の龍」を結びつけることにより、作句者不明だった「龍蟄す窟の狭霧渦きぬ」が漱石の江の島詠であり、米山への哀悼句でもあることを考証する。

第五章 漱石と鎌倉句 甦る悼亡鎌倉三句
  漱石句として周知の「来て見れば長谷は秋風ばかり也」 「冷やかな鐘をつきけり円覚寺」 「鳴き立てゝつくつく法師死ぬる日ぞ」を読み直して、それらを鎌倉で詠まれた米山への哀悼句として甦らせる。

第六章 漱石と湯河原句 『明暗』の陰に隠れて  
何と十五もの句が湯河原詠と気づかれずに『漱石全集』の片隅に落穂として眠っていた! それらの発掘と併せて、『明暗』論への視点をも示す。






〔新刊出版案内〕
山影冬彦著『タケタのタタリ 湘南蛇物語彩流社

四六判 240頁 定価1800円 2011年2月刊行

●全国の書店での発売は2月21日から。
●展示即売会  武田薬品湘南研究所正門前、2月19日(土)10時〜12時の竣工式
           に合わせて。2月20日(日)10時〜15時の見学会に合わせて。


内容紹介

 江ノ島鎌倉で知られる風光明媚な湘南は、閑静な住環境をもそなえている。その湘南の町中に、日本の製薬業界を代表する薬品会社が東京ドームに数倍する巨大な研究所の建設を計画した。中では創薬研究のため、国内最高度に危険な遺伝子組換実験やRI実験や動物実験等が組み合わされて実施され、それら諸実験で使用される空気も水も周辺地域にまき散らされる構造だという。これは一大事、服用後の害として知られる薬害が服用もしない前から創薬公害という形で発生しかねないと住民は恐れ、建設反対運動に立ち上った。

 本作品は、一方で、こうした現実の動きに取材しているが、他方で、安珍・清姫の道成寺物語、上田秋成『雨月物語』、泉鏡花『南地心中』、森鴎外『蛇』、夏目漱石『行人』等、蛇に絡む文学作品や、湘南地方に伝わる大蛇伝説「影取おはん」にも取材している。そのため、作品は、虚実とりまぜた根も葉もある虚構小説(フィクション)と性格づけられよう。

 作品の構造は、物語の中にもう一つの物語があるという「劇中劇」である。すなわち、湘南の町中につぎはぎ増築された巨大バイオ実験場が、影取おはんとその末裔の大清水おらんらの新種大蛇=蛇族郎党や、その助っ人の江ノ島お龍にたたられて、ついに操業停止へと追い込まれ、廃墟と化すという筋書きの蛇芝居をめぐって展開される。

 作品は全六章から構成される。

 「第一章 脱線」では、視点的人物の速見淀治が、影取おはん大清水おらんの縁者である水底 紅と登黒真紀を呼び込んだため、巨大バイオ実験場建設に反対する住民運動の会合において瓢箪から駒式に蛇芝居構想が持ち上がる。

 「第二章 たたき台本」では、速見淀治による蛇芝居の台本作成過程が描写される。影取おはん役には水底 紅、大清水おらん役には登黒真紀がそれぞれ内定する。

 「第三章 蛇芝居第一幕」では、「蛇降る湘南新名所 魔界奇っ怪デッカイ実験場、その実、妖怪排気排水塔、妖気怪水空中散布の因果応報、奇想天外黒雲靡く十五夜臨月蛇身の面妖紅斑」という蛇のように長い演題の蛇芝居の公演とその結果が描写される。

 「第四章 蛇芝居第二幕へ」では、第一幕への反響から第二幕の構想が持ち上がり、道成清美による巨大バイオ実験場側からの内部告発も起こる。

 「第五章 江ノ島詣」では、主要登場人物による江ノ島散策が第二幕の取材に結実し、江ノ島お龍の登場となる。江ノ島お龍役には道成清美が浮上する。

 「第六章 虚と虚の虚」では、危機管理無能力外国人所長の下、巨大バイオ実験場の自壊的廃墟化が蛇芝居の中に展望される。








       創作の窓(めいそう小説四部作 予告と概要)

山影冬彦が積年の憂さ晴らしに念願の創作活動を再開。速見淀治を視点的登場人物とするネット連載小説として、2010年6月25日の武田薬品株主総会での質問封じの暴挙を契機に、第一部「迷走」より配信開始。更新は月3回とし、出版は新研究所完成時に合わせる予定。
作品の総題 鳴噪
「蛙鳴蝉噪」(あめいせんそう)を丸めたもの。

「蛙鳴蝉噪」とは、下手な文章やつまらない議論を嘲っていう語(広辞苑)。
第一部 迷走
震撼武田事件 に取材。内題は「タケタのタタリ 湘南蛇物語」
安珍・清姫の道成寺物語、上田秋成『雨月物語』、泉鏡花『南地心中』、森鴎外『蛇』、夏目漱石『行人』を下敷きにして、湘南地方に伝わる「影取おはん」伝説を加味して創作。湘南の町中につぎはぎ増築された巨大バイオ実験場が「影取おはん」の末裔の新種オロチにたたられて、ついに操業停止へと追い込まれ、廃墟と化すという顛末を、硬質な文体で叙述する。

第二部 迷想
神奈川県教育委員会による指導力不足教員放置事件に取材。詐欺か真か「坊つちやん保険」に群がる教師の悲哀。暗躍するは女赤シヤツ。

第三部 明窓
『女性経済学者群像』(御茶の水書房)翻訳に取材。
『八花繚乱のエコフェミニン』論争で幕が開く。

第四部 瞑想
駒尺喜美伝・亀島貞夫伝説に取材。書いては没書いては没の想いの果てにくるものは……。



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第一部 迷走 <タケタのタタリ 湘南蛇物語>
1〜72


      


 水底 紅は弁舌さわやかに、論旨も明快に話をすすめた。明快のあまりかえって理路整然すぎてあやうい感じさえあたえた。結論もはっきりしすぎるくらい断定的にひびいた。彼女の講演から速見淀治はおおむねこのような印象をうけた。

 古都に鎌倉を冠する漱石研究会が生まれてからもう何十年とたっていた。漱石の人気はおとろえを知らなかった。事務局の根気もねばりづよかった。くわえて作品『門』の舞台と想定される寺を常時会場にできるという強みも作用した。これらの諸条件を味方につけて、鎌倉漱石研究会は数百人の会員を維持しつづけた。

 会は毎年、早い新緑と遅い紅葉の季節に例会をもった。そこにかならず漱石関連の興味深い演題で講師をまねいた。緑の丘陵にかこまれた閑静な古都鎌倉を愛でる一方、明治の世を激越に生きた漱石の作品世界にひたるという例会の趣向には、漱石愛好者でなくともひきつけられた。

 会の歴史がふるいだけに、参加者には白髪が目だった。定年をむかえたばかりの速見淀治などはまだ若輩者といった感があった。近年若手の漱石研究者が輩出するなかで、会はかれらにはあまり関心を示さなかった。それは、最新のテクスト論をふりかざす若手があまりにも作者の意図とかけ離れた作品解釈をすることに共感できないせいだろうと思われた。また若手のかれらも、はやりのテクスト論をほとんど理解できない会に興味を示さなかった。同じ漱石を読みながら、両者は水と油のようにへだたっているように速見淀治には感じられた。ただ速見自身は両者に興味と関心があった。

 水底 紅は、遅い紅葉の季節に講師として会にまねかれた。寺の本堂にしつらえられた会場で、名にし負う紅色のスーツをまとって登壇した彼女は、速見よりはひと回り下の年格好にみえた。その彼女が作者の意図をおもんじたテクスト論をはじめたので、速見はのっけから面くらった。

 
 そもそも彼女がかかげた演題からして意表をつくものだった。それは、「み(巳)どもは蛇じゃ −−−お直の告白」だった。ことは漱石作品の『行人』にかかわっていた。兄の一郎が実弟の二郎に自分の妻の「お直」の正体を探りつつその貞操を試してくれと依頼する筋書きの『行人』にかかわって、演題だけからでも衝撃的だった。

 もちろん、「み(巳)どもは蛇じゃ」とする 「お直の告白」の中身も衝撃的だった。講演中、紅は作中人物の「お直」になりかわり、作品に即してこれこれの描写は蛇のかくかくの性質といった形で個々具体的に種明かしをしながら、話をすすめた。それは、「お直」に蛇性を認めた形での『行人』の再話ともいえるものだった。蛇の生態をよくは知らない速見にももっともらしく聞こえた。

 やがて紅は、話のいちおうの締めくくりとして、一郎が二郎に自分の妻の「お直」の正体を探りつつその貞操を試してくれと依頼したことは、二郎が「お直」に見入られたことによって、藪蛇となったと断じた上で、この藪蛇というのが作品『行人』の基本的な骨格なのですと断定した。聞きようによってはこの断定は洒落を利かせた落とし話にも聞こえた。



      


 漱石の『行人』に落語性を読み取るような読み方は、当の紅も気になっていたらしい。同じ漱石作品の中でも笑いをさそう『吾輩は猫である』や『坊つちやん』ならいざ知らず、兄が弟に自分の妻の貞操を試してほしいと依頼するという深刻な筋書きの『行人』のような作品において、作者がこうした洒落を利かせた落とし話を構想するだろうかと疑問に思う方もいらっしゃるかとはおもいますと、この種の疑問はもっともだと認めた。しかし、その上で、漱石はそういう仕掛け=いたずらをする作家です、そこが漱石の漱石たる所以ですと、自らの断定をひっこめず、むしろそれを上乗せした。

 水底 紅の話術は巧みだった。まるで蛇の「お直」が乗り移ったかのように、「お直」を演じきった。それが済むと、作品にそくした話題を転じて、蛇足ながらと洒落ながら、紅は漱石が『行人』において蛇を題材にした動機に言及しだした。

 まず、理由は定かではないが、漱石自身が以前から蛇に関心があって、いくつかの作品の中ですでに蛇をとりあげていた。『吾輩は猫である』や『虞美人草』や『夢十夜』や『永日小品』のなかにそれらはみられるが、『行人』直前の『彼岸過迄』もそうで、そこでは蛇は杖の握りの部位に蛇頭の形で重要な役割を演じていた。

 その漱石がやとわれ先の朝日新聞社の要請で関西地方に講演旅行に行き、和歌山県にもおもむいた。紀州和歌山といえば、気候的には温暖多雨、地形的には山勝ちで蛇の棲息に適しているせいか、安珍・清姫の道成寺物語や上田秋成『雨月物語』の「蛇性の婬」の舞台となったように、いわば日本の蛇物語の本場だった。その和歌山講演旅行時の見聞を題材に活用して構想してなったのが作品『行人』なのだから、なんらかの形でおんにょろにょろと蛇が出てこない方がむしろおかしいと断じた。

 さらに紅は同時代の作家である泉鏡花や森鴎外への漱石の対抗意識を推定した。

 『行人』執筆直前に泉鏡花が鏡花流におどろおどろしくナニワはミナミを舞台に『南地心中』で蛇を活用した。

 ほぼ同時に森鴎外も鴎外流に理性的に信州のある地方の旧家を舞台に『蛇』を描いた。

 これはもうどうあっても鏡花流でも鴎外流でもなく漱石流に生きた蛇の仕掛けを作中に仕込まなければ漱石の名がすたると漱石は感じたに違いない。こういう作家心理を称して、技癢を感じるという。この鏡花や鴎外への漱石の対抗意識が『行人』で「お直」の青大将と化して出現したのだと、いかにも文学的な表現をして、紅はこの話題にけりをつけた。

 ここまでくると、2百人をこえる白髪勝ちの聴衆は、みな水底 紅に見入られたかのように聞き入っていた。



      .                             


 水底 紅の講演にはもう一つ蛇足がついた。

 彼女は『行人』の世界からはまったく離れ、鎌倉の地にちなむ話題を最後にもちだした。

 もっとも、その話題は蛇にはからんでいた。鎌倉の外れ、藤沢と横浜に接する地域に「影取おはん」の伝説が残されているという。「おはん」とは大蛇の愛称で、飼われていた豪農家が飢饉にみまわれた時、大食の身を引いて家出し、ある沼に潜んで命を長らえていたが、空腹に耐えかねて沼の面に映る人間の影を試しに呑んでみたところ、満腹感をおぼえたので、呑み続けた。ところが、影を呑まれた人間の方は二三日するときっと死んだ。相次ぐ怪死事件にその原因が「おはん」にあるとつきとめると、人間の方は鉄砲にて「おはん」退治に乗り出した。愛称の「おはんや〜い」と呼びかけられて油断して姿を現した隙をねらわれて、とうとう「おはん」は一発の銃弾を頭部に撃ち込まれて、絶命した。「おはん」が棲んでいた沼のある地域は、この騒動以来「影取」と呼ばれるようになった。

 蛇にちなむこの地名譚を紹介して、紅はこう続けた。

 愛称で誘い出されて狙撃されたという「おはん」の殺され方は、だまし討ちにあったようなもので、怨念が残るものです。最近、この影取にほど近い場所に巨大なバイオ実験場が造られるという話です。大阪に本社をおく製薬会社がまるで土足で踏み込むように、この湘南の地に巨大な動物実験場を造り、毎日何トンもの実験動物の死骸を焼却炉で焼こうという計画が進行中なのです。まるで動物の火葬場です。

 古来、日本には、蛇は執念深い生き物という定評があります。私は影取に縁故のあるものですが、近くにそんな動物虐待迷惑施設ができて、「おはん」の怨念が呼び起こされ、そのタタリがなければよいがと心配でなりません。

 蛇のタタリという点では、話をもどすと、鴎外は淡白です。漱石だと暗示的すぎて、分かりにくいかもしれません。鏡花流におどろおどろしいのが一番わかりやすくてよいでしょう。『南地心中』には蛇に願をかけて放つと願がかなうという話がでてきます。

 このように水底 紅は、まるで「影取おはん」に願をかけるかのような口調で講演をしめくくった。

 しめくくりは、講演の主題からは大きくそれていた。しかし、速見は主題についてはもちろんのこと、それから大きくそれた最後の蛇足の方に、よりひきつけられた。彼もまた巨大なバイオ実験場の建設計画には一住民として恐怖に近い懸念をいだくものだった。

 講演終了後も水底 紅は聴き手から話しかけられてその応対のためしばらく会場の本堂に残っていた。彼女の周囲から人だかりがひいたおりをみはからって、速見も思い切って話しかけてみた。

 速見のもちだした話題は、漱石『行人』に関するものではなく、最後の蛇足に関わっていた。速見の問いかけに紅は意外という反応をしめした。今まで問いかけられたことがらのほとんどが『行人』論にかんするものだったせいだろう。



      4.


 「もしかして、蛇がお好きなのかしら?」
 問いかける速見への反応が意外から期待へと変化するような表情を浮かべながら、水底 紅は眼を光らせた。講演の最中にも紅の眼の中に同じ光を幾度か感じたように速見は思った。

 「いえ、そういうわけでは。はっきり言って蛇は嫌いですが、バイオ実験場の方には少なからず関心があるもので」
 水底 紅の眼力にまごつくように速見は答えた。

 「そう、それは半分残念で、半分たのもしい」
 「厚かましいお願いですが、もし差し支えなかったら、これから少し時間をいただけませんか」
 年下の女性に対して速見はめずらしく積極的に出た。

 「いいですよ。蛇の話ができるのなら。さきほど、あちらの方々と会食の約束をしたところですの。それに合流する形でよいのなら」
 水底 紅は、少し離れたところで立ち話をしている幾人かの方に視線をやった。いずれも先程来彼女を囲んで話し込んでいた女性たちだった。

 「それでは先約に割り込むことになる。もうしわけない」
 「それはかまいません。先約といっても、今日初めて会った方々ばかりですから。『行人』の、「お直」と二郎の不倫関係、いわゆる姦通小説の側面についてまだ話し足りない方々のようで。ただ、あなたの関心は建設中のバイオ実験場でしょう。私の関心は『行人』でも蛇。三者三様、さてさてどうなることやら」
 「いえ、私だって『行人』のそっちの方面に関心がないわけではありません」
 『行人』のどっち方面かはあいまいにしたまま、速見の言葉は歯切れが悪く、弁解がましくきこえた。


 「それはわかっています。が、これからすぐ会食する時の話題としては別でしょう。とにかく、あちらの人々に断ってきます」
 水底 紅はなにかはずむような調子で言った。

 講演中、銀杏の葉を黄色に変える寒さの中にもかすかに人々の熱気を漂わせていた寺の本堂には、もう人影はほとんど残っていなかった。玄関の戸口や廊下の吐き出しの硝子戸は、後片付けのため開け放たれていた。そこから寒風が容赦なく吹き込んだ。

 「了解はとりました。さっ、でかけましょう」
 水底 紅は速見をうながすと、先にたって本堂をでた。その後ろに『行人』姦通派の婦人たちがつづいた。軽く会釈を交わしながら、速見はその尻尾についた。

 その位置につけたお蔭で速見は遠慮なく携帯電話をかけることができた。いつもなら例会には同行する妻がこの日に限って所用ができ、別行動となった。その妻に急遽生じたこれからの予定を報告し、速見は了解を取り付けた。



      5.


 紅葉の季節とあって日中は観光客で混雑をきわめていた境内も、閉門の時刻が迫る夕刻ともなると、人影はだいぶ退いていた。

 速見は人影のない寺が好きだった。なんとなく心が落ち着いた。以前、この寺に知り合いの外国人を案内したことがあった。日は、先方の旅程の都合から、どうしても12月の大晦日の午前中を選ぶしかなかった。大晦日の夕刻ともなれば、年越し〜初詣のために人々が大挙して押し寄せるところだが、その午前の時刻だと、人影はまったくみあたらなかった。速見は偶然の幸運を喜んで、めったにないこの寺の貸し切り状態を満喫した。以来、この寺の参詣は大晦日午前に限ると思うようになった。

 寺の総門を出、かつての境内を削って走る横須賀線の踏み切りをこえた所で、一行は狭い県道の舗道に出た。その舗道も、人ひとりがようやくすれ違いできるほどの狭さだった。

 一行は自然、一列縦隊の形にすすんだ。頭に水底 紅が立ち、胴体には姦通派の婦人たちが膨らみ加減に並び、尻尾は相変わらず速見だった。

 江戸期以来松が岡の駆け込み寺とか縁切り寺とかの俗名で知られる寺をすぎたあたりで、男が独り尻尾につくこの蛇形の一行は、頭から制御がかかって徐々に立ち止まった。そこは精進料理しかださない店の前だった。尻尾以外の女性陣でしばらくは何やら相談している様子だったが、やがてそのままその店に入った。


 精進料理の店は、注文してから品物が出てくるまでにだいぶ時間がかかった。その空き時間が自己紹介に当てられた。

 水底 紅の自己紹介は講演会の初めにすでに済んでいた。姦通派の三婦人は、同じ姦通派でもそれぞれ微妙に異なる一家言持ちのような自己紹介をおこなった。途中、話が弾んで、しんがりの速見の番になる前にあやうく議論が伯仲しかける一幕まであった。

 三婦人はどうやら旧知の仲らしく、鎌倉漱石研究会とはまた別口の漱石関係の会にも属していて、それも二重どころか三重・四重に籍をおく者もある口ぶりだった。漱石と名のつく会には時間と場所を問わずどこにでも顔をだし、漱石と名のつく物品書物は金銭消費順位の最上位におくといった気概が、三人からは共通して感じ取られた。現代の一部の若者について言われる言葉を遣えば、漱石マニア・漱石オタクということにでもなろうか。 

 最後に速見の番になった時、速見はすでに姦通派に圧倒されていた。速見にもある漱石に関する興味・関心の如何はおざなりにすませた。彼は努めて水底 紅の講演の結びにあったバイオ実験場の話題に引きつけられてここに来たという点を強調した。そうすることで、猛烈な姦通派の三婦人によってこの話題が外されることがないようにあらかじめ歯止めをかけておこうと試みたのだった。ただし、その歯止めの努力も果たして効果があるかどうか、はなはだ心許なかった。



      6.


 速見の心許なく思う予感は果たして的中した。予防線はいとも簡単に破られて、話題は『行人』における不倫・姦通の必然性といった論点の周りをぐるぐる回って尽きなかった。

 「やはり、伊豆さんの説は画期的だったのよ。あれからでしょう、『行人』の主人公を兄の一郎とみなしてその狂気じみた悩みをうじゃうじゃと詮索する通説を脱して、二郎とお直の相思相愛の不倫関係を作品の中からなんとか彫り当てようとする努力が勢いをえてきたのは。この乾し椎茸の煮染め、おいしいわね。とってもやわらか、でも歯ごたえはあって。どこの産かしら」

 「伊豆産よ。ほら、このお品書きにある。今度伊豆さんにお会いしたら、そこのところをじっくり話してもらいましょうよ。その話なら何度聞いても興味が尽きない。いっそのこと、今度の「伊豆さんと漱石を読む会」のテーマはそれにしてみないこと。もうテーマは別のものに決まっていても、当日私たち三人で押し込めば、なんとでもなるわよ」

  「伊豆産の乾し椎茸を味わいながら伊豆さんの『行人』論に思いをはせるなんて、洒落ているわね。でも、伊豆さん自身は大分の出身で、椎茸は大分産に限るとおっしゃっていたようよ。とにかく、伊豆さんに触発されて大岡昇平もいうように、漱石の描く三角関係の世界に姦通がないとさまにならない。姦通が必要不可欠、必然なのよ。姦通のない『行人』なんて、サビ抜きの握りみたいなもので、大人の読み物ではない」

 姦通派の三婦人は精進料理を肴に『行人』にかんする不倫・姦通談義の花を咲かせて、いっこうにしぼませる様子をみせなかった。

 「お直の蛇性に注目すると、お直と二郎の不倫・姦通関係はどうなるのでしょうか。補強されるのか、打ち消されるのか。そこのところまでは、先程の講演の中では言及されなかったようですが」
 主菜の炊き込み飯が運ばれてきた頃になってようやく、速見は配膳の合間に生じた談義の空白をとらえて、水底 紅に問いかける形で議論に割り込む機会をえた。ただし、話頭をいきなりバイオ実験場にまで持っていく勇気はなかった。せいぜい姦通から蛇へ、止まりだった。それでも、速見の疑問は、『行人』に関わって本日の講演を聞いて生じた最重要の関心事で、真面目なものだった。

 「そうですね。そこのところはつめていません。伊豆説の補強になるのか、否定につながるのか。そもそも、伊豆先生がお直が蛇と描写されている箇所に触れずにやりすごしていますから」
 「それはもう絶対に補強ですよ。もう決定打です」
 「そう」
 「そうそう」
 姦通派はさらに勢いをえた格好だった。速見は話題転換を試みたのに、結果はかえって姦通談義の火に油を注ぐことになった。これではこの会食では話題はとうていバイオ実験場にまで行き着くまいと速見は観念するほかなかった。



      7.


 姦通談義に終始した会食をおえると、帰りの一行は、行きは胴体だったのが頭になった。行きの頭は尻尾についた。尻尾は依然として尻尾だった。

 「今日は残念でした。お疲れさま。すごいわね、あの人たち。言い出したら、止まらない感じ。バイオ実験場のことはまたの機会にしましょう」
 精進料理店を出たところで、宛がはずれてすまないという感じで水底 紅が速見に声をかけた。紅からも「すごい」といわれた姦通派三婦人は、まだ談義がつきないようで、二人から少し離れた先をかたまりながら北鎌倉駅に向かって歩いていた。

 「講演会の二次会が講演本題の話題でもちきりになるのは当然です。それより、今日のようについでならともかく、あらためて時間をとっていただくのは、もうしわけない気がします。無理して都合をつけていただくような事柄でもないのですが」
 速見は遠慮勝ちに言ったが、きっぱりと辞退したわけでもなかった。

 「いえ、私にしてもバイオ実験場のことを詳しく知りたいのです。私は最近になって東海道線の電車の中から異様に巨大な建物が目につくようになってから、何なのよ、あれ、と、ようやくその出現に気づいたような、うかつ者なんです。せいぜい人づてに、そこでは大量の動物実験が計画され、その死体も焼くらしいと知り、ええっ、まさかこんな町中で? と、なにがどうなっているのやら、詳しい経緯がさっぱり分からず、知りたいのです。あなたは詳しいのでしょう」
 「県のアセスの頃から関心があったので、ある程度のところまでなら」
 「それで結構よ。それに、私の方でもまだ話していないこともあるのです。講演では蛇足に蛇足を重ねてくどくなるから省いたのですが、「影取おはん」には実は後日譚めいた話があるのです。ご存じ?」
 「いいえ、「影取おはん」の伝承そのものを知らなかったくらいですから」
 「そうですか。「大清水おらん」というの、その話」
 「「大清水おらん」!?」
 「興味あります? ありそうね」
 水底 紅はまた眼を光らせた。

 「大清水って、汚水処理場のある場所のことで?」
 「そう。影取町の近く、国道1号線のバイパスをはさんでその斜向かいの場所です。町名では大鋸の内ですが。影取は横浜市で、大清水は藤沢市ですね」
 「するとやはり「影取おはん」伝説と同じように蛇にちなんだ地名由来の言い伝えですか」
 「いいえ、たしかに「おらん」は蛇の名で、蛇にちなんだ話ですが、「影取おはん」のように地名譚でもなければ、はっきり伝説とまでも言い切れないわ。ただ、汚水処理場を造る時ににわかにとりざたされた話題なんですの。にわかづくりだから、きっとすぐ忘れられてしまったのね。ご存じなかったですか」
 「それ、是非うかがいたいです」
 速見の眼はにわかに輝いた。それに反応するようにして水底 紅の眼もまた光った。



      8.


 水底 紅の「み(巳)どもは蛇じゃ −−−お直の告白」と題する熱血講演を聞いた勢いで猛烈な姦通派三婦人とも会食することとなった日から数日たって、速見は水底 紅と会った。

 その日は、夕刻からバイオ実験場建設に反対する住民組織の会合が予定されていた。その会合が始まる二時間ほど前に、会合場所の近くの喫茶店で二人は落ち合った。二人の話を終えたら、その足で速見は水底 紅をその会合に案内して住民組織のおもだった人々とひきあわせる約束でもあった。

 水底 紅と別れてから再び落ち合うまでの数日間、速見は水底 紅のいう「影取おはん」や「大清水おらん」の情報をインターネットの詮索サイトや図書館等で調べた。「影取おはん」については、水底 紅が言う通り、民話として記録されていることがわかった。だが、「大清水おらん」についてはどこにも該当する情報がなかった。ひょっとして水底 紅の創作かもしれないと、そのような疑いを速見はもった。いずれにしても、会って確かめるにしくはないと速見は考えた。


 挨拶もそうそうに、速見はバイオ実験場についての資料を水底 紅に手渡した。それは種類も多く、分厚かった。速見は水底 紅に、じっくり読んでもらってから必要に応じて後日詳しい説明をしたい旨を告げた。水底 紅もそれでかまわないと応じた。

 「で、さっそくですが、「大清水おらん」の話について、くわしくうかがえませんか。「影取おはん」については講演会でもうかがっているし、また、ネット等でも確かめてあります。「大清水おらん」はネットにはでてきませんでした」
 「あら、ずいぶん研究熱心な方ね。「大清水おらん」はネット上ではまだ出現していないでしょうね。実は私もそれほど詳しいことを知っているわけでもないのです。大清水に住む知人からの又聞きでしてね。そんなのでよろしいかしら」
 「それで結構です」
 「その知人は登黒真紀といいまして」
 「トグロマキ? どこかで聞いたような……どういう字を書くのですか」
 音の響きから速見は不審に思って、水底 紅の説明をさえぎった。  

 「やはり気になりますか。トグロは山に登るに色の黒、マキは真実の真に紀州和歌山の紀、です」
 「なにかもろに蛇を連想させるような名前ですね。蛇にちなむペンネームででもあるのですか」
 「いえ、本名です。私の友人なので、蛇好き仲間ではあるのですが。期せずして名は体を表すということがありますよね、世の中には。たとえば、ウーマンリブの旗手だった駒尺喜美さんて、漱石研究家でもあるから、ご存じでしょう。フェミニズム批評として異色な『行人』論も書いている」
 「ええ、実は私は彼女の隠れたファンです。お会いしたこともあります」
 「彼女の名前は本名です。で、世の男からしてみれば、本当にコマシャクレギミ、実によく名は体を表しているではありませんか。そうは思いませんか」
 「なるほど」
 ここで突然駒尺喜美の名前がでてき、その上その名の真義が明らかにされたことに速見は感嘆の声をあげた。



      9.


 「いや、驚いた。駒尺さんの名前にそんな洒落た意義があったなんて、全然気づかなかった。実は私は故あって駒尺さんの伝記に取り組んでいるところなのです。今度本人にあったら、確かめてみよう」
 親しい駒尺喜美の名を水底 紅の口から聞いて気がゆるんだせいで、速見はつい口を滑らした。なりゆきからして余計な話題提供は、話をますます脱線させるおそれがあった。

 「それはいけません。気を悪くなさるかも。しかし、奇遇だわ。駒尺さんをご存じで、伝記まで取り組んでいらっしゃるとは。その故って、是非知りたいですね。構わなくって?」
 やはり水底 紅は押してきた。

 「話すことは構いませんが、今日の話題がどこかへ飛んでしまう」
 速見はようやく脱線の危険を覚った。

 「おや、そうでした。今日は、……「大清水おらん」の話でした。では、またの機会の楽しみにということにして」
 「ええ、そう願えると、ありがたいです」
 「本題の「大清水おらん」のことは、私の友人の登黒真紀さんが詳しい、そこのところまででしたね」
 「そうです。そのトグロさんから駒尺さんへと飛んでしまって、話が脱線しかけた」
 「それは飛んだことをしました。復旧に努めましょう。ですが、うふふ、飛ぶといえば、蛇がトグロを巻くのは、のんびり休んでいる姿勢と見えてその実、獲物に飛びかかるための準備態勢だということ、ご存じ?」
 「いいえ。でも、今何でそんなことを」
 速見は再び脱線する気配に警戒を強めた。

 「ほほほ、飛んだことをしたお詫びのつもりです。でも、冗談ではなくて、本当のことです。バネの原理を考えれば分かるでしょう。ためてぴょんと跳ねるの。蛇も長々と伸びきっていてはだめなの。巻かなくてはだめ。で、その登黒真紀さんが語ったところによると、だいたいこんな話だったかな」
 水底 紅の話はようやく復旧の途についた。



      10.


 登黒真紀から聞いた話として水底 紅が速見に語った「大清水おらん」にまつわる因縁話は、要約すると次のようだった。

  今から30年ほど前、藤沢市の外れにある大清水地区に汚水処理場建設の話がもちあがった。同地区は藤沢市と横浜市の境界を流れる境川の流域にあった。川をはさんで対岸側は宅地造成がすすんで人家も建っていたが、同地区側は、川が増水して溢れ出る先の氾濫原であり、また、周辺の丘陵からの絞り水も湧くので、かなりの広さの湿地帯としてあり、土地利用は進んでいなかった。

 そこに行政は目をつけて、広域(流域)下水道処理場を造ろうと計画した。広域というのは、近隣の数市町村から出る汚水も引き受けるという意味だった。この計画に周辺住民は猛反発した。理由は単純で、迷惑施設の上になぜ他の市町村の出した分まで引き受けなければならないのかということだった。

 行政は住民の説得に失敗し、広域計画は頓挫した。その代わり、行政は規模を縮小して藤沢市限定版を代案として出してきた。これにも周辺住民は反対した。汚水処理場による第二次公害の発生を恐れたからだった。

 当時の汚水処理の仕方は、「自主講座 公害原論」で宇井 純が指摘したように、家庭生活排水と工場排水をごたまぜにして処理する混合方式が一般的だった。それでは、もともと処理場の処理能力は生活排水にしか対応できないものだから、工場排水は素通しの状態になるのだった。工場排水は単に生活排水によって薄められただけだった。

 宇井説で武装する住民に対して、行政はこの混合方式を改めて、汚水の受け入れは家庭生活排水のみに限定し、工場排水は受け入れないという妥協案を示した。この妥協案を保障するために、市が住民組織とは基本協定を、また、周辺の諸工場とは個別協定を、それぞれ結ぶことで、大方の周辺住民の説得に成功し、どうにか汚水処理場の建設にこぎつけた。

 ここまで話が進んでも、水底 紅の口からはまだ「大清水おらん」は話頭にのぼらなかった。その上、そこまでの話なら、今次のバイオ実験場建設問題ともからんでいるところなので、速見もある程度は知っていた。

 速見はじれて、その旨不審を表明した。水底 紅はじらすように笑って、「もうすぐです」と、以下のように続けた。



      11.


 大方の住民は行政による説得に応じたが、住民の一部には大清水地区に汚水処理場を建設することにあくまで反対する動きがあった。その論拠は汚水処理場が迷惑施設だからという点よりは別のところに力点があった。 その力点が「大清水おらん」だった。

 汚水処理場建設問題が広域話としてもちあがった当初から、迷惑施設だから御免だという主張と並んで、自然保護の観点からの反対意見もあった。それは、大清水の湿地帯は蛇の棲息地・楽園であり、「影取おはん」の末裔が移り棲むという言い伝えもあることから、開発の対象とすべきではないという主張だった。

 だが、その言い伝えは口伝えでしかなく、文字として記録されていなかった。行政ははっきりした証拠がないとして相手にしなかった。蛇の棲息状況を実態調査すべきだという主張に対しても、当時は環境影響評価(アセスメント)の仕組みが制度化されていなかったことを楯にして取り合わなかった。

 それでは、蛇の棲息状況については証拠をつきつけようということで、住民はなかなか見つけにくい蛇として知られるシロマダラを工夫して捕獲し、それを瓶に詰めて役所に持ち込み、役人の鼻先につきつけたこともあった。しかし、役人はただ逃げ腰で気味悪がるだけで、本当に大清水の建設予定地で捕獲したものか確かめようがないとうそぶいて、動かなかった。

 要するに、県も市も行政は伝承上も実際上も大清水には蛇はおらんという姿勢に終始したのだった。実際、そんな蛇なんか、おらん、おらんというのが、応対する役人の口癖のようになった。自然保護派の蛇好き住民の耳には、役人の口癖は、「影取おはん」からの連想も働いて、蛇の愛称のように響いた。そこで、蛇好き住民は、蛇の存在を否定する役人のかたくなな姿勢を揶揄する意味も込めて、大清水の湿地には役人の曇った目には見えない蛇が棲息する、その名を「大清水おらん」というと表現するようになった。


 逆手取ったる「大清水おらん」誕生の経緯を告げたところで、水底 紅は一息入れた。

 「どうです、なかなか素敵な話でしょう。行政が存在を否定し抹殺する意味で用いた「大清水おらん」を、自然保護派住民は見事に復活させたのです」
 水底 紅は微笑みを浮かべながら、やや得意そうに速見を見た。

 「なるほど、素敵な話ですね。行政のつかう否定語が住民には肯定の意義をもつ。両者の立場や関係を象徴するようで、なかなか意味深長ですが、ちょっと出来すぎという気もします。本当なんですか?」
 実は「大清水おらん」は水底 紅の創作ではないか、その名をインターネットの検索サイトでは見つけられなかった時からいだきだしたそんな疑念が、つい速見の口を突いて出た。

 水底 紅の表情はにわかに変わった。



      12.


 「あらっ? お疑い? 私の作り話だとでも? 私は先日の講演会の場でのような、つたない評論はしますが、それはあくまで事実尊重の精神に立っています。たとえ根も葉もあっても大嘘で脚色してよしとするような創作まではいたしませんことよ。そういう能力、私にもあればいいなとは思いますが」

 「これは失礼しました。別に貴女を疑うつもりではないのですが、あまりにも出来すぎて、でもインターネットでは検索できなかったものですから」

 「そういう考えは、根本から間違いですね。それは、インターネットにないものは現実にもないと見なすことでしょう。インターネットに載っている事柄は、現実にある事柄の中から物好きが自分の趣味や関心を基準にして適当に選んだものだけであって、それで現実をおおいつくしているわけでは全くないのです。それどころか、現実にはないとんだ嘘っぱちを並べたてるサイトだって珍しくはないでしょう。それに、せっかくサイトを開設しても、大手検索専門サイトにひっかかるように工夫しておかないと、それは存在しないことと同じになってしまう。インターネットという仕組みは、現実とはたぶんにずれた幻の世界です」

 「おっしゃる通りです。ですが、「大清水おらん」がそれほどの話ならば、ネットに載っていてもよさそうなものだとも思えるのです。何しろ今やネット全盛の時代ですから」

 「そういうことなら、 内情をすこし話しますが、「大清水おらん」がインターネットに載っていないのは、きちんとした理由があります。その情報を握る者が載せることをあえてひかえているからです」

 「そういうことがあるのですか。しかし、なんのために」

 「もちろん、「大清水おらん」を保護するためにです。「大清水おらん」情報をインターネットに載せてごらんなさい。さっそく心ないマニアが捕獲に押しかけて、もう目茶苦茶にされます。それでなくても、汚水処理場の建設で「大清水おらん」は相当の打撃をすでに受けています。この上マニアの餌食にされてはたまりません。人間のマニアやオタク種は、ことにインターネット上では無尽蔵に繁殖しがちです。だから動植物の稀種・絶滅危惧種などの情報の取り扱いには、インターネット上では細心の注意を払う必要があるのです」

 「なるほど、そういうことですか。すると、自然保護派の住民の方々はなかなか大変なのですね。行政に対しては「大清水おらん」の存在を強く主張したいし、世間一般にはあまり知られたくないしで、痛し痒しだ」

 「そういう板ばさみにあることは確かです。それでもめげませんよ、わが友登黒真紀は」
 「えっ! 登黒真紀さんて、自然保護派の住民運動の」
 「その担い手、というより、頭目です」
 こう言って、水底 紅はまた眼を光らせた。



      13.


 「頭目といっても、ほとんど彼女ひとりでやっているようなものだから、自然、そうなるわね。そうそう、もしご希望なら、お引き合わせしましょうか。彼女もバイオ実験場のことが気がかりだといっていたから、ちょうどいいでしょう」
 「それはありがたい。先程渡した資料にもあるように、大清水汚水処理場のことは今次のバイオ実験場建設問題ともからんでいるので、是非そうしていただきたいと思います」
 「ああよかった、了解がとれて。うっかり言い忘れていたけれど、実は彼女、今日ここへ顔を出すかもしれないのよ、都合がつけば。で、この後の会合にも出てみたいといって。来るとすれば、もうそろそろ。お邪魔ではないかしら」
 「そんなことはありません。会合は参加自由ですし、そういう方なら大歓迎ですよ」

 そこに速見の背後から人影が迫ってきた。

 「わっ、出た! 噂をすれば影で、現われた!」
  突然水底 紅はいたずらっぽく叫んだ。

 「えっ、出たって、なにが? 蛇が? こんなところに? どこに?」
 速見は驚いて、腰を浮かしかけ、水底 紅の視線を追って自分の背後を振り向いた。

 「なによ、出たなんて、人聞きの悪い。私は人間です。蛇ではありません。登黒真紀です。はいこれ、挨拶代わりに差し上げます」
 水底 紅をたしなめながら、さっさと自己紹介をすませると、立ったままで登黒真紀は透明状のカサカサしたようなものを速見の前に突き出した。

 「何ですか、これ。あっ、どうも、速見といいます。よろしく」
 「蛇の脱け殻です。財布の中にしまっておくと、お金がたまるといって、縁起物なんですよ。それもシロマダラのものだから、なかなかの貴重品です。お近づきのしるしに、どうぞ」
 「ほお、まさか中身は入っていないんでしょうね」
 「見ればお分かりでしょう。本体なら、とてももったいなくて、いくら速見さんでも、差し上げられません」
 「ほほほ、それを持つということは、私たち蛇仲間のしるしなんです。これで速見さんも私たちの仲間です」
 「えっ、しるしって、そんな意味だったのですか。まいったなあ」
 「じゃあ、いらないのですか?」
 「いいえ、せっかくですから、ありがたくいただきます」
 こうして速見は蛇仲間に引き込まれた。



      14.


 「時間でしょう。もうでかけようよ。待ってもらって、ありがとう」
 席に着こうとせず依然として立ったまま、登黒真紀は水底 紅に話しかけた。

 「あら、もうこんな時間か。すっかり話し込んでしまって。会合はもう始まっている、速見さん、遅刻です、行きましょう」
 促されて、速見もようやく会合の時間が過ぎていることに気づいた。

 「なんだ、私を待っていてくれたわけでもないのか。二人してすっかり話し込んでいたわけね、じゃあ、私の紹介も済んでいるね」
 言い残しながら、登黒真紀は足早に店を出た。支払いがあるので、後につづく二人は少々手間取った。

 「先日の鎌倉の夜は姦通派とかに席巻されて、言いたいこともいえず、すっかり欲求不満に陥っていたのを、今日は存分に解消できたかな?」
 先に店を出て、入り口で待ちながら、水底 紅と速見が一緒に出てきたところをとらえて、登黒真紀が話しかけた。先日の夜会のすさまじい状況を水底 紅からすっかり伝え聞いているような口ぶりだった。

 「そういえば、ちょっと断わっておいた方がいいかな」
 速見は登黒真紀の言葉でなにかを思いついたように言い出した。

 「これから出てもらう会合には、その姦通派に勝るとも劣らない猛烈な人々がそろっています。性別では女ではなく、男が多いのですが。言い出したら最後、なかなか止まらない。だから、私のように遠慮していると、ひとこともしゃべらないうちに会合が終わっているということだって、ある。その上、平気で脱線する。それも、脱線に脱線を重ねるから、元の話題がなんだったかが分からなくなることも、珍しくない。そんな会合です。あらかじめご承知おきいただいて、決してびっくりしないでください」
 ゆっくり歩きながら、速見が蛇仲間に説明した。

 「大丈夫、脱線大好き。脱線なら、私だって負けないわ」
 水底 紅が自信ありそうに言った。

 「勘違いしないでください、決して脱線を勧めているわけではないのです」
 「いいえ、勘違いしていません。脱線には脱線で対抗するのが手です。安心なさい、脱線を重ねるうちに話は元に戻るものです、ほほほ」
 水底 紅の自信はゆらぎそうになかった。速見は言葉につまった。

 「考えてごらんなさい、日本古典文学の輝かしい伝統である誹諧連歌などは、連想ゲームのように見えてその実、脱線ゲームでもあるのです。脱線は日本文学の伝統の中にしっかりと息づいている。人々の集うところに必ず脱線あり。脱線は決して排斥すべきものではありません。むしろ創造のみなもとです。要は元に戻れるように上手く脱線すればよいのです」
 専門的蘊蓄を動員してまで水底 紅は追い打ちをかけて、速見を煙に巻こうとした。それでも元に戻れなかったら、どうするのだろうと速見は思った。



      15.


 「そういう小難しい話は脇においておいて、出席のみなさん、バイオテクノロジーの専門家ですか」
 速見に救いの手をのべるように話題をかえて、登黒真紀が尋ねた。

 「いいえ、最先端科学のバイオに関しては、みんな素人です。なにしろ、みな、けっこうな歳で、はるか以前の就学時代には学校の教育課程にバイオはなかったから、習いもしなかった。でも、今度の問題に直面して、にわか勉強なりに猛烈に勉強した。だから、今やバイオオタクのようになっている。歳も歳だから、自らバイオ・シルバー・オタク連、略してBSOと名乗ってもいるんです」
 「なんとバイオ・シルバー・オタク連、略して、BSO、わー、カッコイイ名前じゃないですか。それが住民運動体の正式名称でもあるんですか?」
 登黒真紀の反応は無邪気っぽく響いた。

 「いえ、それは仲間内の綽名みたいなもので、正式な団体名としては、「タケタたまげた連絡会」を名乗っています」
 「 えっ、「タケタたまげた連絡会」? なにそれ」
 水底 紅が聞きとがめた。

 「ふざけているのかとお思いでしょうが、真面目です。冠の「タケタ」はもちろん実験場を造ろうとしている製薬会社の名前です。しもの「たまげた連絡会」とは、連絡を取り合ってタケタ実験場建設計画を調べ合ってみると、ビックリ仰天する事柄だらけで、しきりに「たまげた」が連発されるものだから、自然そう名乗るようになった次第です。え〜と、「たまげた」項目は優に100を超えたかな。それを公開質問状の形でタケタ側につきつけてもいます」
 「それはなかなかいい感じね。そういう名乗り方、好きだな」
 登黒真紀は「大清水おらん」を守護する者だけに、「タケタたまげた連絡会」の名称には率直に共感を表明した。

 「そうかな。それこそ「たまげた」名づけ方だわ。あまりにも直截的で、ちょっと悪のりしすぎっていう感じが私にはする」
 水底 紅は登黒真紀に異を唱えた。

 「つまり、脱線が足りないということですか」
 速見が尋ねた。

 「まあ、そう言っていいかしら。言い換えると、もう少し、ひねりが必要だったですね」
 水底 紅の点数は辛かった。

 こんなふうに由来とともに団体名が明かされたところで、ちょうどその会合の場所に三人は着いた。
 会合はすでに躍り狂わんばかりに議論が沸騰していた。



      16.


 三人が到着した時、登黒真紀の守護する「大清水おらん」に十分対抗できそうな名称の「タケタたまげた連絡会」は、紛糾の最中だった。

 紛糾の元は、タケタバイオ実験場と行政が取り交わそうとしている安全協定にどう対応するか、だった。その素案が最近公表されたが、それは、バイオ実験場の操業によって地域住民の生活と安全が脅かされることがないように、その操業にさまざまな規制を設けるといったことを主眼にするものではなかった。実にそれは、バイオテロが広域に壊滅的な被害を引き起こす恐れがあることにかんがみ、おこりうるバイオテロの脅威からバイオ実験場の安全をまもるために行政や地域がいかにバイオ実験場に協力していくかということを主眼においていた。

 一言で性格づければ、それはバイオ実験場を守るための安全保障協定だった。この素案に対しては、「タケタたまげた連絡会」は、またまたたまげた項目が増えたと憤慨しながら、不安をいだく地域住民感情を逆撫でするものだとして、反対する意見でまとまった。だが、その先で意見が別れた。この機会を好機としてとらえて、住民の生活と安全を守ることを主眼においた本来あるべき安全協定の案を会で作成して示すべきだという意見がでた。この意見にたいして、安全協定案作りは、バイオ実験場建設を事実上容認して条件闘争に舵を切ることであり、認められない、あくまでバイオ実験場建設反対の姿勢を貫くべきだとする意見が出て、両者は対立した。

 「タケタたまげた連絡会」内の意見対立は、ことが基本的な路線をどう敷くかにかかわるだけに、深刻だった。その激論中に、ひょっこり速見が蛇仲間の女性二人を連れて入った。

 対立意見の応酬はただちにやんだ。

 人々の関心は速見が案内した女性二人にたちまち集中した。初の参加ということで、水底 紅と登黒真紀はおのおの自己紹介をおこなった。その折、水底 紅は「影取おはん」を、登黒真紀は「大清水おらん」を、それぞれ紹介することを忘れなかった。それに対する返礼として、参加者一同もおのおの簡単な自己紹介をおこなうことになったが、これはそう簡単には済まなかった。自己紹介が自己主張に発展する例が後を絶たなかった。

 自己主張勝ちの自己紹介が一通り終わっても、話題は、つい先程まで激論を交わしていた議題のところにはもどらなかった。人々の興味と関心はすっかり「影取おはん」と「大清水おらん」に移っていた。

 「影取どころか大清水にまでこんなオロチ話があるとは、実際驚いた。これは題材としてもってこいだ。どうだい、速見さん、久しぶりに台本を書いては。持ち前の空想的創造力を発揮して。『「影取おはん」・「大清水おらん」怨みの狂乱殴り込み 壮絶凄惨嵐の湘南決戦の場』なんて演題なら、人目を引いて大受けしそうだ」
 自称演劇好きが速見に水をむけると、それが呼び水となって脱線はもはや決定的となった。



      17.


 「へえ〜、速見さんが台本を書くとはねえ、知らなかった。それはいいとして、そんな演目じゃ、駄目だ。怪談・妖怪話仕立てもいいが、人情話に仕立てた方がいい。「影取おはん」こと水底 紅、「大清水おらん」こと登黒真紀、と、ぴったりの配役もそろっている。二人清姫が一人安珍を追っかける構図に道成寺物語を書き換えて、安珍がタケタバイオ実験場に逃げ込む。二人清姫はバイオ実験場を巻き締めて、炎上させる。だから、演題は『二人清姫 タケタのとんだトバッチリ』てな、どうだ。これで溜飲が下がる」
 もう一人の自称演劇好きが怪談・妖怪派を批判しつつ、結局は同じところに落ち着く自説を述べた。

 「もうそんなけ構想が練れているのなら、ご自分で台本を書いてはいかがですか。私はその任ではない」
 速見は否定的な見解を述べた。

 「それは、口でしゃべるのと、実際に台本に仕上げるのとは、まるで違う。口が達者な者でも、読み書きできないっていうことが、世の中、ざらにある」
 「その点では、まったく同感。思いついたことをいざ文章に書こうとすると、からきし駄目だ。でも、速見さんは、現役の教師時代、演劇部の顧問をしていて、台本まで書いた実績があると聞いていますがね。調べはてんからついている。情報はちゃんとつかんでいるんで、逃がしはしませんよ」
 二人の自称演劇好きは、台本執筆を辞退し、それを速見に押しつける点では統一戦線を組んだ。

 「その情報は不確かです。演劇部の顧問をしていた事実はありません。台本を手がけたことがあるのは事実ですが」
 「それなら、書けるんじゃん」 「そういうこと、そういうこと」
 「顧問でもないのに台本をてがけるなんて、よほどの入れ込みじゃん」
 何人かから同時に声があがった。それらのつぶやきはみな速見に不利に響いた。

 「どっちにしたって、さっきでたような、場末の大衆劇場や東映ヤクザ映画にありそうな、そんな筋や題目では人は集まらないよ。今は時代が違う。なにしろ現代科学の最先端を行くバイオテクノロジー=生命科学=遺伝子組換技術にからむものなのだから、もっとこうスマートな筋や題でないと、駄目ですよ。でも、とにかくタケタバイオ実験場問題を劇化してとりあげるということ自体は、いい思いつきかもしれない。この問題を分かりやすく広めるにはね。経験豊富な速見さんなら、きっといい台本がかけるでしょう。期待します。頑張って下さい」
 演劇好きを名乗らない者までも、速見演出を要請する声をだした。

 「これで決まりだな」 「そうそうそう」
 また速見に不利なつぶやきが響いた。



      18.


 「みなさんがそうおっしゃるのだから、速見さん、できなければできないで仕方ないから、試みるだけは試みてみたらどうかな。私たちも協力するし、ねえ、水底さん」
 自己紹介がすんでからは口を閉ざしていた登黒真紀が突然口を開いて、隣席の水底 紅に同調を求めた。

 「あなたが乗り気ならね、私だって乗り気よ。こうなったらヒト肌脱いで鱗をみせて「影取おはん」にでも「大清水おらん」にでもなってやろうじゃないの」
 実際に芝居がかった仕草で水底 紅も登黒真紀に同調した。水底 紅は案外「二人清姫」構想を気に入っているのかもしれなかった。この二人の発言が速見にとって決定的な打撃となった。水底 紅の芝居がかりな発言には拍手までおこった。

 「それなら、できるかどうか、よく検討してみましょう」
 とうとう速見は半ば承諾する羽目になった。


 バイオ実験場問題の劇化案は、台本作りを誰に任せるかだけでは終わらなかった。

 役者をどうするかがすぐ話題になった。これは原則として「タケタたまげた連絡会」の会員から募ることになった。

 次に劇団名をどうするかが検討された。これには、速見作の台本ができてからでないと決められないという異論がでたことをうけ、一応 、バイオ・シルバー・オタク連の略称BSOを劇団名に転用するにしても、なお検討の余地ありとして、暫定的に決めておくことで、まとまった。当面の表示は劇団BSO(暫定)とすることにした。

 もちろん、公演場所をどこにするかについても、検討された。観客を集めるうえでの交通の便宜や施設使用料等の諸条件を念頭におきながら、まずはどのような施設があるかを、藤沢・鎌倉・横浜・逗子・茅ヶ崎・平塚等の湘南各市についてよく調べようということになった。すなわち、この時はまだ湘南を超えて広く全国公演に打って出ようという野望は話頭にのぼらなかった。

 これらの事柄を決めるについては、そうとんとん拍子にはことは運ばなかった。その都度、異論・反論・激論があった。むろん、何度も脱線した。もっとも、劇化案そのものが本日の会合の本題からの大いなる脱線にほかならなかった。

 劇化案についてはもうこれ以上検討することは現時点においてはないという結論に達した時、その結論を促す要因となったものは、会合をしめる予定時刻の切迫だった。



      19.


 結局、劇的脱線話から本題に復帰することなく、その日の「タケタたまげた連絡会」の会合はお開きとなった。もっとも、たとえ本題に戻ったとしても、例に洩れず、議論はつきず結論は出ずということになる可能性は大だった。

 会合を終え、会合場所の建物を出たところで、速見は水底 紅や登黒真紀と別れた。別れ際に会合参加の感想をたずねると、二人はそれぞれに個性的な感想を述べた。

 「とにかく面白い人々ですね。血相を変え、まなじりを決して、切羽詰まった思いで運動にのめり込むというような、住民運動にありがちな感じがぜんぜんなくて、なにか楽しんでやっているような印象をうけた。あんなふうに余裕をもって事に当たられると、相手のタケタ製薬の方はいやだと思うな。これからみなさんで劇をやったら、きっと盛り上がること請け合いよ。そのためにもいい台本を書いてください。ちなみに、ここに澄ましている水底さんは、その昔、演劇俳優や声優を志望したことがあった人です。今でもその野望は捨てていないと私はひそかに観察するね。きっと強力な協力者になってくれるよ。たとえば、「水底の 紅燃ゆる 閉じし眼に」という感じで、今、人知れず闘志を燃やしているよ、きっと。ほら、今、眼が光った」
 これは登黒真紀の感想だった。実際、登黒真紀の観察通り、水底 紅の眼は光った。

 「なにをおっしゃる登黒さん。下手な俳句はおよしなさい。余計な推測も御免です。あなたはトグロを巻いていればよいのです。余裕派の漱石を好むので、私も余裕が好きですが、「タケタたまげた連絡会」の方々の余裕はちょっと物足りない感じがしますね。第一、脱線が下手です。なんだか、おっかなびっくりしながらやっている。もっと大胆にでていい。それでいて、思わぬところで帰ってくる。そういう意外性に乏しい。野球でいえば、直球ばかり投げている。もっと超スローボールや頭上をかすめるビンボールを投げてもよいのです。くせ球にも乏しいから、相手に狙われやすい。隠し球だって研究したことがないでしょう。ボールの代わりに、丸めた蛇を投げたってかまわない。それくらいの気迫や度胸がないと、タケタ製薬には対抗できないのではと思いますが。その点、劇は大いに期待できます。何が飛び出てくるかわからない。大胆不敵、人々がアッと驚くような仕掛けと筋書きで台本を作ってください。期待します」
 これは水底 紅の感想だった。

 速見は二人の激励に感謝して別れようとした。すると、また紅が声をかけた。

 「ひとつ、忘れていた。台本作りには、泉鏡花の『南地心中』が参考になるでしょう。女主人公の芸者が願をかけた蛇をふところにして、いざという時にそれを人々に投げつける場面が結末にあって、それがすごくいい。私はそれをやってみたい。蛇を宙に舞わせるなんて素敵じゃない」
 注文を言い終えると、水底 紅は速見の反応を確かめもしないで、くるりと振り返って去って行った。登黒真紀は速見に目配せを送ってその跡につづいた。



      20.


 本題から脱線転覆して復旧しないままおわった会合の日以来、速見の頭は蛇と小説と脚本に占領された。体は容易に机の前から離れられなくなった。

 師走の時はすすむのが早かった。よりによってこの忙しいのに病気がまた始まったと妻が速見を批評した。そのくせ、妻もまた、速見に負けないくらい、パソコンの前でトグロを巻いていた。

 蛇に絡めてバイオ実験場問題を劇にする構想は、脱線話から急に浮上したわりに、完成を急いだ。バイオ実験場自体が来春早々にも稼働を開始する予定で建設工事が進んでいた。その竣工にぶつけるようにバイオ劇を旗揚げ興行するのが適宜だろうという判断が、脱線会合の折にもだされ、速見ももっともだと思った。

 脚本作りにとりかかる前に、速見は知り合いの演劇関係者に連絡をとった。このバイオ劇構想の是非や実現可能性について意見を聞いてみた。彼女は、速見からたどたどしい説明をうけた後、「傍目などは気にしないで、やりたいようにやればいいんじゃない。おやんなさいよ。私も相談に乗るから。まずはいい台本を書き上げることね」と後押ししてくれた。

 彼女は速見の現役教師時代からの知人で、同じ職場に勤務したこともあった。ただ、早くから息の詰まる教育現場に見切りをつけ、好きな演劇の世界に飛び込んだ。けれども、彼女は、役者志望でも脚本家志望でもなかった。江ノ島を間近に望むビルの一室を借りて、小さな貸し劇場の経営を始めたのだった。その空間を、彼女は好きな寺山修二にちなんで「天文館」と名づけ、自身もまた天文館詩子を名のった。彼女は歌詠みでもあった。思い切りよく人生の選択ができる彼女の存在は、選択において躊躇に躊躇を重ねがちな速見の眼にはまぶしかった。

 決断と実行力に富む天文館詩子に後押しされて、速見は脚本作りにふみきった。

 主題も題材もそろっていた。だから、とりかかる前にはどうにか筆がすすみそうに感じた。だが、実際にやり始めると、途端に速見は壁に突き当たった。

 それは、巨大バイオ実験場があまりにも多くの問題をかかえすぎていたからだった。「タケタたまげた連絡会」が調べあげた「たまげた」事項は100を超えていた。それを関連する分野ごとにまとめたとしても、その分類項目は10をくだらなかった。それらを全部とりあげるのでは、焦点ぼけして劇にならなかった。

 要するに切り口を定める必要があった。どの分野から切り込んで、蛇とどう絡め、どの分野まで及ぶのか、その見極めがむずかしかった。

 これだ!という、いわゆる霊感は、そう簡単にはひらめかなかった。速見は「タケタたまげた連絡会」が作成したさまざまな資料とにらめっこをした。水底 紅があげた蛇がらみの小説にも眼を通してみた。呪文のごとく「影取おはん」や「大清水おらん」の名をとなえてもみた。しかし、霊験はあらわれなかった。



      21.


 しびれるようなひらめきのないまま、仕方なしに速見は、試みにバイオ実験場の実験系排水の処理の問題に焦点を当てて筋立てを考えてみようとした。

 タケタ製薬は市の了解を取り付けて実験系排水を公共下水道に放流して大清水汚水処理場で処理させようと計画していた。

 この計画を県の環境影響評価(アセス)で知った時、速見は二重に驚いた。

 一つには、これを理由にしてアセスメントの重要な選定項目である「水質汚濁」を省いていたからだった。そもそも下水道は河川と違って汚れきっているのだから、「水質汚濁」の調査項目にはならないという理屈だった。これは明らかにアセス逃れのなにものでもないと速見は見た。速見はこの点を県に訴えたが、県はタケタ製薬の側についた。もともとバイオ実験場を誘致したのが県知事だったから、県がタケタ製薬に不利になるような判断を下すはずがなかった。

 もう一つには、この計画が工場排水は受け入れないとする大清水汚水処理場協定に違反するからだった。

 タケタ製薬は巨大バイオ実験場を建設しようとする以前、その敷地には製薬工場を稼働させ、表向きはニンニク製剤のアリナキンZを製造すると宣伝しながら内々では芥子や大麻を栽培して麻薬を製造していた。それでも、その工場時代には、他の企業の工場と同様に、大清水汚水処理場協定に加わってこれを遵守し、工場排水は自社内に処理施設を造って浄化し、浄化後の排水は近くを流れる柏尾川に放流していた。

 タケタ製薬は、自社の都合でこの製薬工場を廃止し、約8万坪にもおよぶその広大な跡地に、総床面積が10万坪を超える巨大バイオ実験場を造ることに決めた。その際、既存の施設の一部を残して他の大部分を解体し、実験場を増築する形をとった。そのようななかで、排水処理施設は残す側に入れずに、解体してしまった。

 つまり、製薬工場からバイオ実験場に施設を切り替えるに際して、タケタ製薬は意図的に大清水汚水処理場協定を反故にする選択をおこなった。その理屈は、製薬工場を廃止したことによって大清水汚水処理場協定は失効した、新たに稼働するバイオ実験場からでる実験系排水は工場排水ではない、家庭生活排水と同じである、ゆえに、公共下水道に放流してかまわないというものだった。

 速見はこの理屈を聞いて唖然とした。市に問い合わせたところ、市からも同じ理屈が返ってきた。

 タケタ製薬バイオ実験場では、一般的な生化学実験のみならず、国内最高度に危険な遺伝子組み替え実験やRI実験や動物実験等が組み合わされて計画されていることは、アセス資料から明らかだった。これらの諸実験からでる排水が家庭生活排水と同じであるという認識はおぞましいというほかなかった。これらの実験系排水はそれ自体としても、また、創薬研究という性質上、質が一定しないことからいっても、定量定質の工場排水よりははるかに危険度が高いとみなされる。

  市は多額な下水道収入に目がくらんで、そこを見ようとしなかった。



      22.


 県のアセスにおいて「水質汚濁」の選定から逃れようとする理屈や大清水汚水処理場協定を反故にしようとする理屈は、タケタ製薬の言い逃れに長けた狡猾体質を如実に物語っていた。名はまさに体を現わすで、タケタの社名はこの狡猾体質を現わすものと速見は理解した。

 実験系排水の処理の問題に焦点を当て、この狡猾に長けたタケタ体質を切り割き浮き彫りにする形で劇の筋立てはできないか。大清水汚水処理場協定に絡めば、「大清水おらん」も登場させやすい。「大清水おらん」が出れば、その祖先として「影取おはん」も登場しやすい。

 ここまで構想を練ったところで、速見は壁に突き当たった。この筋立てでは、場面はどうしてもバイオ実験場よりは大清水汚水処理場に設定する方がふさわしいということになる。けれども、速見にとってこのバイオ劇の主場面はあくまで巨大バイオ実験場であるという命題は動かしがたいものだった。

 壁に突き当たって打ち破れなかった結果、速見は構想の練り直しを余儀なくされた。

 練り直しにあたって、速見は発想を変えた。巨大バイオ実験場の諸問題のうちどれを選んで切り込むかではなく、巨大バイオ実験場を舞台場面の全面にすえて、そこにどのような情景を思い描くかという発想でしばらく考えてみることにした。

 発想を変えてしばらくすると、ひらめきに近い形で、過日の水底 紅の別れ際の言葉が浮かんできた。それは、泉鏡花の『南地心中』には「女主人公の芸者が願をかけた蛇をふところにして、いざという時にそれを人々に投げつける場面が結末にあって、それがすごくいい。私はそれをやってみたい。蛇を宙に舞わせるなんて素敵じゃない」というものだった。

 水底 紅はまた、その言葉を発するしばらく前にはしきりに「飛ぶ」という動作を口にしてもいた。

 それらがないまぜになって、水底 紅の言葉があたかも呪文のごとくに頭の中によみがえってきた。呪文が霊感のように響くと、ふと速見は「蛇が空を飛ぶ」とか「蛇が宙を舞う」とか「蛇が降る町」とかの想念をつかんだ。

 想念そのものは、はなはだ突飛だった。日本語には蛇足という慣用語があるくらいだから、蛇に足が生えて歩きだすという情景ならば、思い描けなくもなかった。しかし、「蛇が空を飛ぶ」とか「蛇が宙を舞う」とか「蛇が降る町」という情景は、魚が木に登るのと同様で、たんなる空想にしても、考えにくかった。

 それでも、速見はこれで行こうと決めた。この奇想天外な情景を舞台の上に構築したとしても、決して不自然ではないと思えるようなバイオ実験場の根本問題に思い当たり、両者をうまく結びつけることができるという確信を、直感的に速見は抱いたからだった。



      23.


 着想してからの速見はパソコンの前の人となった。

 練り直してえた新たなバイオ劇構想をひとまず覚え書き風に反故紙に書きつけながら、それをさらに練り返しつつ、パソコンに打ち込む作業に速見は没頭した。

 速見が作成した脚本の草案は、次のようだった。


〔演題〕
 蛇降る湘南新名所:魔界奇っ怪デッカイ実験場、その実、妖怪排気排水塔、妖気怪水空中散布の因果応報、奇想天外黒雲靡く十五夜臨月蛇身の面妖紅斑

〔登場蛇身〕
 影取おはん・大清水おらん、他、(藤沢)村岡おしん・渡内おこん・高谷おもん・柄沢おまん・大鋸おきゃん・弥勒寺おえん・鵠沼おひゅん、(鎌倉)関谷おさん・植木おれん・岡本おりん・城廻おつん・玉縄おにょん、(横浜)小雀おちゅん・笠間おせん、計16匹、影取おはん=事務棟以外の15匹は15の各実験棟に配置

〔登場人物〕 タケタバイオ実験場建設現地総支配人 図々志

〔衣装〕 三角形の鱗紋様を基調とする

〔諸道具〕
 大道具に書き割り類は使わず、パワーポイント作成のスライドで代用。即ち、 スライドショー劇とする。小道具は張り子の蛇多数

〔劇団紹介〕 にせ・くれない・いなか・にわか蛇芝居/撃団BSO(仮称)

〔あらすじ〕
 タケタ製薬の前身は、江戸時代から大阪は高津神社の周辺で店舗を構える漢方の薬屋だった。漢方の薬屋といっても、薬草は扱わず、小型獣類・爬虫類・両生類・昆虫類等の燻製を製造販売する動物専門の店で、一頭地を抜く目玉商品は、男の嫉妬・女の悋気を鎮めるに効験ありとうたう蛇の黒焼だった。このマジナイのために黒焼にされた蛇の種類と数は数知れずで、乱獲のあまり絶滅するにいたった種もあったほどで、その売り上げは、惚れ薬のイモリの黒焼をはるかに凌いだ。明治維新以降は文明開化=西洋化の波にのり、西洋医薬品の輸入販売で漢方からの転進を図るとともに、店舗も薬種問屋街の修道町への進出を果たし、うちつづく戦争では傷病兵の多い軍に取り入って大儲けを繰り返し、巨万の富を築いて一躍日本の製薬業界の頂点に躍り出た。そういう前身・沿革だったから、湘南の町中で巨大バイオ実験場を造り、大量の実験動物の死骸を焼却炉で焼くことに、なんの躊躇もなかった。

 東京ドームに数倍する巨大バイオ実験場は、司令塔としての事務棟と15棟の実験棟からなり、他に独立した焼却棟をそなえる設計だった。竣工後、稼働を始めると、トン知れぬ実験動物の死骸を焼く煙が焼却棟の煙突から立ち昇った。



      24. 〔あらすじ〕の続き


 立ち昇る煙はあだとなった。あたかも狼煙を見るかのごとくにたちまち「影取おはん」の蛇族郎党が反応した。「影取おはん」の蛇族郎党は、「大清水おらん」をはじめ、影取の周辺各地に散らばったその末裔の「 〜 お○ん」、計16匹からなる。狼煙を合図に蛇族郎党は巨大バイオ実験場に結集する。

 結集の仕方は慎重だった。バイオ実験場に隣接する地域を版図とする郎党は直行でよかったが、やや離れた地域を版図とする郎党は、直行しようとすると車道幹線道路を横断すること一再ならずだったので、交通事故に遭遇する恐れがあった。人間の交通標識では、動物の横断に注意を促すのに猿・狸・猪・鹿等の姿を描くことはあっても、蛇の姿は描かない。道路横断中の蛇への配慮は皆無なので、轢死に到る蛇の交通事故は年々蛇登りの増加傾向にあるが、統計さえ取られていない。対処方法は可能な限り車道幹線道路の横断を避けるという自己防衛以外にない。そこで、川や下水管を使った迂回経路が採用された。

〔滝川→境川→村岡ポンプ場→下水管→バイオ実験場という四辺形3辺利用型〕=影取おはん・柄沢おまん・大鋸おきゃん・関谷おさん・小雀おちゅん

〔境川→村岡ポンプ場→下水管→バイオ実験場という三辺形2辺利用型〕=大清水おらん・鵠沼おひゅん

〔村岡ポンプ場→下水管→バイオ実験場という1辺利用型〕=弥勒寺おえん

〔柏尾川→バイオ実験場という1辺利用型〕=玉縄おにょん・笠間おせん

〔直行型〕=村岡おしん・渡内おこん・高谷おもん・植木おれん・岡本おりん・城廻おつん


 蛇族郎党の結集場所は、タケタが敷地内に大阪から分社勧進して建てた高津神社だった。大阪の高津神社は、願をかけた蛇をその裏山に放つと願がかなうという言い伝えがあって、蛇にゆかりのある神社だった。

 結集した「影取おはん」以下16匹は、「影取おはん」による平和的仇討宣言の下、その命により「大鋸おきゃん」と「岡本おりん」が実験棟の偵察に向かう。

 偵察から戻って「大鋸おきゃん」と「岡本おりん」は、各実験棟の屋上がわれら蛇族の楽園のごとき環境にあることを報告する。報告は次のようだった。

  <報告> 各実験棟の屋上には緑化を口実に温室が造られていた。温室の中は、昼夜を問わず温暖多湿の状態に保たれ、芥子や大麻が栽培されていた。また、各所に配管が施され、穴場だらけなので、蛇が棲息するには最適の環境にあった。

 温室が温暖多湿の環境に保たれる仕組みをやや詳しく観察すると、温室中央に下の実験室からの排気口が大きく口を開けていて、そこから25℃前後に保たれた空気が常に吐き出された。その際吐き出し口にはスクラバーという装置が設置されていて、それによって空気は水流で洗浄された。そのため、空気中には霧状の水滴が大量に飛散することになり、温暖多湿の状態が保たれるのだった。



      25.〔あらすじ〕の続き


  <報告の評価>  「大鋸おきゃん」と「岡本おりん」の観察は半ば正確で、バイオ実験場の設計思想の核心にある程度までは迫るものだった。その設計思想とはこうだった。まず空気については、室内で働く者の安全を第一番に守るためと称して実験室内の空気を循環再利用せずに屋外に常時放出すること(放出量は一日に東京ドーム50杯分)、次に水については、公共下水道に放流するのには量的制限があるので、一日に50mプール2杯分に相当する水を屋上からスクラバーを通して空中散布する形で処理すること、だった。要するに、実験従事者の健康を害するおそれのある汚れた空気と下水に流しきれない余分な水を屋上から大気中にばらまいてしまおうという、はなはだ乱暴なものだった。15棟からなる実験場は巨大な排気排水塔を15本も束ねた構造にほかならず、屋上緑化をうたう温室はその実、飛んだ空中散布の隠れ蓑だった。

 外のことなんか知ったこっちゃあらしまへんでという設計思想は近隣住民にとっては迷惑至極もはなはだしいが、それは近隣住民がアセスの資料から空気と水の投入産出表を作成してそれを人の頭を使って分析したから見抜けることだった。

 もっとも、人の頭を使っても見て見ぬふりをする者もいた。県のアセス審査会の委員らがそうだった。学識経験者というふれこみの彼らを任命したのは県知事で、その県知事が率先誘致したのがバイオ実験場だった。だから、その設計思想の根本的欠陥については、同審査会の委員らは県知事の御用を務めて不問に付した。

 遺憾ながら、蛇の「大鋸おきゃん」と「岡本おりん」には、御用学者とは違った意味でだが、やはり彼らと同様に、人並みの分析能力がなかった。で、屋上の温室がバイオ汚染で危険かもしれないという点までは迫れずに、ただ温暖多湿で蛇にとってはこの上なく棲みやすいという表面上の観察で終わったのだった。
                    (以上で<報告の評価>終わり)


 「大鋸おきゃん」と「岡本おりん」による偵察報告に基づき、黒焼にされた数知れぬ先祖の怨みを晴らすべく、平和的仇討ち作戦が練られた。作戦参謀として仇討ち作戦を練り上げたのは、「大清水おらん」だった。「大清水おらん」は、目指す平和的仇討ちにふさわしい、次のような単純明快な二段階作戦を立てた。

 <第一段階 産めよ殖やせよ作戦>

 「影取おはん」以外の15匹は、5棟×3列=15棟の配置図にある通りの各自の持ち場において、この上ない棲息環境の利便を最大限に活かし、有精無精を問わずあらゆる手を尽くして子孫の繁殖に努めること。その際繁殖率はネズミ算式を一応の目安にするが、それをも凌駕する蛇算式の確立を目指すこと。


      26.〔あらすじ〕の続き


 <第二段階 大清水の舞台作戦>

  バンジージャンプ等の遊びや訓練を通して子孫には高所から飛び下りる度胸を巳につけさせること。初心者の場合は落下傘使用も可とするが、そこにとどまってはならない。単に降下するだけではなく、鱗や胴体を偏平に有効利用しながら滑空することによって、飛距離を飛躍的に伸ばす能力を身につけさせることが望ましい。そのためには、スキージャンプ競技の技能を人間技から学ぶ必要がある。なお、飛距離は直線的とはかぎらない。曲線的でもよく、またつづら折式でもよい。高飛び込みや体操競技にみられる曲芸的な降下技ならば、なおよい。その際には着地や着水の段階まできちんと決めること。人間技の習得と伝授の大任には「鵠沼おひゅん」と「小雀おちゅん」をあてる

 この作戦は、「だいキヨミズのブタイさくせん」と名づける通り、バイオ実験場の各棟の屋上を京都清水寺の舞台をも凌ぐ大舞台と見立て、夜中、蛍光塗料で化粧しつつ無数のわれらがそこから舞い降りることによって、われら蛇族がこのバイオ実験場を完全に占拠し制圧下においたことを人間界に知らしめることを目標とする。そうすることによって、野蛮な人間の如くすぐ暴力に頼るということなしにバイオ実験場の操業停止・廃墟化を図ろうというものとしてある。

 もちろん、この企画が成功するためには、われら子孫のネズミを凌ぐ繁殖と神技的降下滑空能力の獲得のみでは足りない。是非とも人間のマスコミ界の関心を引きつけておく必要がある。そのマスコミ対策主任としては美蛇の誉れ高き「笠間おせん」を適任とする。なお、日本の大手新聞の中には社会に警鐘を鳴らすという報道機関としての社会的使命を忘却した腑抜け例もみうけられる。たとえば沈み行く夕日新聞のように、タケタ製薬の宣伝広告費にまどわされ、バイオ研究の分野でも結託してその負の側面については意図して報道しないという姿勢を鮮明にした例がある。それらに期待を寄せても黙殺される可能性があるので、マスコミ対応にはとくに注意を要する。


  第一段階の産めよ殖やせよ作戦も、第二段階の大清水の舞台作戦もともに順調に遂行された。  その際、偵察報告において「大鋸おきゃん」と「岡本おりん」がバイオ汚染の危険を察知しえなかったことは、作戦遂行上、負の要因として作用しなかった。というのも、たしかにバイオ汚染が生じたと推測されるが、それがかえって作戦遂行に正に作用したと考えられるからだ。

 とにかく、繁殖はあっという間に目標を達成し、蛇算式の存在を世に証明した。降下滑空能力の獲得も瞬く間にすすんだ。鱗の開閉は自由自在になり、胴体の偏平化も意のままになった。これらの現象は、あるいは芥子や大麻の幻覚作用によるかもしれないが、遺伝子組み替え実験によって生じた新型ウイルスの漏洩がもたらしたものと思料される。その因果関係の解明は今後の課題として残る。


      27.〔あらすじ〕の続き


 ただ惜しむらくは、降下能力は十二分に巳につけえたが、ビル風を利用しての浮上能力までは、試みてもなかなか上手く獲得できなかった。それにはやはり鳥のような翼を必要とするに違いない。この点もまた、今後の課題として残る。

 なお、特記すべきは、二作戦の圧倒的成功が、その過程において、獲得形質は遺伝しないという遺伝学上の常識を覆すような現象を生んだことである。そのうちに学説は、獲得形質は遺伝するというふうに訂正される可能性がでてきたわけで、学術上の貢献が認められてよい。


 いよいよ舞台大詰めで、二作戦の成功により劇は絶頂を迎える。十五夜満月の夜、事務棟と15の実験棟の屋上を占拠した無数の蛇族郎党は、頭上に黒雲をなびかせながら、臨月印の紅斑を鮮やかに巳に浮かびあがらせて、産んだばかりの卵を尻尾で空中に放る。すると、放られた無数の卵はぱっと割れ、中から幼蛇が躍り出て、宙を舞う。これにて幕。
                      (以上、〔あらすじ〕終了)


 パソコンと格闘しながら速見がバイオ劇の草案を仕上げたのは、寒風が吹き始めた12月も下旬にさしかかろうという頃だった。草案には長々とあらすじはあるものの、台本にはつきもののト書きと台詞がなかった。それらがないのでは、台本の下書きとはいいがたかったが、とにかく、これだけでもどのような劇かはおおよそ見当がつこうというものだった。速見はこの草案を「タケタたまげた連絡会」の会合で披露して、人々の反応をみようとした。会合は、忘年会を兼ねて年末に予定されていた。

 年末の会合に提出された速見の草案に対して、自薦にわか審査人として口火をきったのは、例の自称演劇好きの二人だった。

 「どうもこう、生温いという感じがして仕方がない。迫力がないんだ。平和的仇討ちなんていう発想からしてそうだ。仇討ちは昔から銃剣に訴えるものと相場がきまっている。場面設定にしても、実験場の表面にしかスポットライトをあてていず、その内部に深く立ち入ることがない。たとえば、実験場の最深部で規制を無視した遺伝子組み替え実験が極秘裏におこなわれ、その最中に漏洩事故がおこり、新型ウイルスを体に浴びた「影取おはん」と「大清水おらん」が一気に巨大化・狂暴化・猛毒化して実験所内の人間を次々に襲い、やがて街にでて湘南地方一帯が修羅場と化して大恐慌におちいるなんていう筋立てだと、手に汗握る展開となって見応えがある。やはり怪獣映画並みの迫力がないと、観る人にあたえる衝撃が弱い。それではタケタバイオ実験場の問題性を世に訴えるのに力不足だ。構想を根本から練り直す必要があると思うな」
 これが自称演劇好きの一人目の意見だった。



   28.


 「それは怪獣映画の見すぎだ。八岐大蛇のような荒事もいいが、蛇とバイオの芝居なら、和事の方があっている。なんといっても道成寺物語は日本人の意識の中にしみついているのだから、それを使わない手はない。前の会合でも言ったが、「影取おはん」と「大清水おらん」の二人清姫が、逃げる一人安珍を追ってバイオ実験場を巻き締め、その燃え盛る恋の炎でバイオ実験場が爆発炎上して、目に見えないバイオ汚染物質が飛び散り、湘南地方一帯を覆いつくす。それは原子炉暴走〜炉心溶融〜核爆発事故並の深刻で広範囲の被害をもたらし、日本中を未知の恐怖でパニックにおとしいれる。そんな筋立てだと、日本版・バイオハザード版のソ連チェルノブイリ級惨劇で、現実味があって、わかりやすくもある。是非そんなふうに書き直してもらいたいものだ」
  二人目の演劇好きは、速見の草案の筋立てを物足りないとする点では一人目と一致した。

 「ちょっとそれはどうかな。そもそもバイオハザード(生物災害)というのは、ミクロの遺伝子次元での変異が元凶になって、目に見えない、得体の知れない形で静かに進行して、ある日突然爆発的に蔓延していたことが判明するというふうなもののようだ。それは、昨年の新型インフルエンザ騒動の時のパンデミック煽り現象を思い起こせば、わかる。だとすると、そう単純に目に見える形での大立ち回りの筋書きでは、バイオハザードの本当の恐怖には迫れないと思う。それに、バイオ施設が爆発炎上する形でのバイオ災害の拡大という想定は理論的にはおかしい。例えば、P3施設だと、火災が発生した時には、絶対に水で消火を試みてはいけないとされる。水圧によるバイオ汚染物質の漏洩拡散につながるからだ。火災時には燃えるにまかせて、焼き尽くす。そうすれば、バイオ汚染物質も焼かれて無毒化する。この理屈を当てはめれば、バイオ施設が爆発炎上する形でのバイオ災害の拡大という事態は理論的には想定できないということになる」
 バイオハザード(生物災害)の特性とはなにかというような本質問題にからんできて、議論は相当込み入ってきた。

 「その点、速見草案の方が、バイオハザードの真の姿をよく映し出している。ある日突然無数の蛇がビルの屋上に出現して、しかも宙を舞う。その原因は、不明。こんな不気味でおぞましい光景はそうはない。それに、あの巨大バイオ実験場の設計思想の欠点をよく衝いている。そこがこの草案の手柄だと思う。これはなかなか見どころのある、よくできた草案だよ」

 「水底さんや登黒さんはどうお思いですか。「影取おはん」や「大清水おらん」の縁者・関係者として、この草案のなかでの扱われ方とか、そもそも蛇が空を飛ぶというような発想とか、違和感を感じませんか?」
 前回に引きつづき出席はしていたものの、口をつぐんで話の成り行きを見守っていた二人に尋ねる者があった。ふられた二人は一瞬どちらが先に答えるか、譲り合う素振りを示した。



   29.


 一瞬譲り合いながらも、結局水底 紅が先に口を開いた。

「私はこの速見さんの草案を大変気に入っています。そもそも舞台大詰めで蛇が宙を舞うなんていう趣向は、思いつきで私が速見さんに注文したことを上手に取り入れてくれた結果ではないかしら。ねえ、そうでしょう。ありがとう。その通りだそうです。ですから、注文通りなわけで、満足こそすれ、決して違和感なぞおぼえませんことよ」

 「それでも、蛇が空を飛ぶとか宙を舞うとかいうのは、あまりにも奇抜すぎませんか。いくら架空の劇の世界であっても、現実におこりえないことでは、やはりリアリティーに欠ける。やはりイカにもタコにもさもアリなんということでないと、観客は納得しないでしょう」
 ふった者がさらにふりかけた。

 「それがそうでもないんだ。蛇が滑空することは現実にある」
 この衝撃的で断定的な証言は、私の出番とばかり登黒真紀がおこなった。

 「もちろん、この狭い日本ではそんな現象はみられない。が、世界は広い。広い世界には空飛ぶ蛇がいる。たしか東南アジアのジャングルにいるようで、樹木の上の方から他の樹木に飛び移る時に、胴体を偏平にして滑空するらしい。その名もフライングスネーク。だから、速見さんの草案にリアリティーがないというのは、間違いね。リアリティーはあるんだけれど、ただ日本では知られていないだけなんだ。速見さんは蛇のことをきちんと調べてから構想を練っているようで、感心感心。さすがはわれらが蛇仲間。そうだよね、紅さん」

 「たしかによく調べているようね。昇り立つ民の竈の煙を天皇が見て云々で名高い大阪の高津神社にまつわる蛇習俗のことや、その近くにあった「くろやき屋」のことなんかも、ちゃんと調べて使ったのでしょう。でも、どこまでが事実でどこからが脚色なのか、そこのところがわかりにくい。だから、みようによっては、全部が嘘っぽくみえる。でも、もともと創作とは虚実とりまぜて成るものだから、根も葉もある大嘘ってところで、仕方がないことですね」

 「要するに、怪獣映画並みや道成寺の焼き直しだとリアリティーはまったくないが、速見草案だと劇的リアリティーはある。そう考えると、軍配は速見草案の方にあがるな」

 「そういわれれば、たしかにそうだ。しかし、この草案だと、怪獣ものや道成寺ものにくらべて変化に乏しいことも確かだ。活劇の感じがしない。なにか歌舞伎の「しばらく」みたいな感じで、静謐な様式美としては見応えがあるかもしれないが、それ以上ではない。ただ、台本にはつきもののト書きと台詞がまだできていないから、そういう印象をあたえることになるのかもしれず、とくに台詞が入って、それがバイオ実験場によるバイオ汚染の実態を暴くような形で展開されるとすると、また印象が違ってくる可能性がある。だから、基本はこれでいいとして、台詞の工夫が今後の課題だ」
  演劇好き以外から、速見草案の支持に立った、その補強案もではじめた。



      30.


 「そういうことのなりゆきなら、前言は撤回する。怪獣は早々に退散だ。この草案でいこう。ただし、台詞が肝心だ。台詞中心の活劇という手もある。台詞を考えよう。こうなったら台詞が決め手だ」

 「私も前言撤回。道成寺には紀州にひっこんでもらう。台詞中心ということなら、白波五人男や白波五人女みたいに勢ぞろいの形で、われわれが作り上げた「たまげた」項目100カ条をぶちあげるといい。16匹もいるのだから、1匹6〜7カ条の割り当てで100を超える。それらを機関銃のように連射して一気に相手を倒す」

「ちょっとまって。いくらなんでも、100は多すぎる。半分の50くらいに絞るべきだ。そうでないと、散漫になって、衝撃力が半減する。だいいち、台詞だっておぼえきれるものじゃない。私なんか、せいぜい一つか二つだ。それ以上だとお手あげで、きっとこんがらかる。こんがらかって、味方同士で撃ち合ったら、目も当てられない。オウンゴールはサッカーだけのことじゃない」
 発言者は自分が劇に配役として出るものと決めているらしかった。

 「絞るのはそれでいいが、絶対に外してほしくないものがある。例えば、バイオ汚染と直接関わりがないのであまり追及されない事柄として、タケタが工場時代の用地造成の時に考古学上貴重な遺跡を無惨にも破壊して素知らぬふりをしている事実がある。そういうふうに文化遺産を破壊して省みない反文明的体質は、いざという時には事態をさらに悪化させる元凶ともなるので、外すことなく強調しておく必要がある」

 「そうだ、他にも外せない項目を挙げていこう。これは大事な作業だ。どんどん出し合おう」

 「企業体質をいうなら、都合の悪いことは隠し通そうとする隠蔽体質の方こそ外せないことだ。とにかくアセスの時の説明会はひどかった。アセスの手順にあるのでやむをえずなんだろう、説明会に先立って地域に案内状を配ったんだが、そこには安全が強調されているだけで、国内最高度に危険なP3レベルの遺伝子組み替え実験やRI実験を予定していることなど、一言もふれていなかった。だから、その案内状をみてほとんどの人が安心してしまい、わざわざ説明会には顔を出さなかった。たまたま出た者だけが、P3レベルの遺伝子組換実験棟を3棟も設置すると知って、びっくり仰天したんだ。あんな隠蔽体質の企業がバイオ実験場を町中に造るなんて、泥棒に金庫番をさせるようなもので、ぞっとする。事故がおこった時、タケタなら事故隠しに狂奔するにきまっている」
 どうしても外せない「たまげた」項目50選を選定する作業は、こうして順調な滑り出しをみせた。



      31.


 「隠蔽体質の秘密主義は、情報公開についてもそうだ。建築確認や焼却炉の設置手続などについての開示請求をすると、真っ黒塗りだらけの書類がでてくる。タケタが企業秘密を楯に行政に墨塗りを要求する結果だ。これでは情報公開制度などあってなきに等しい。情報公開法制に対する挑戦だ。これも外せない」

 「アセスに戻せば、大量の実験系排水をだすバイオ実験場のくせに、アセス上最も重要な項目の一つである「水質汚濁」を選定しないで済ませてしまったんだから、あきれてものがいえない。アセスの制度を根底から覆す暴挙だ。体質をいえば誤魔化すのに長けた狡猾体質だな。これは絶対に外せない」

 「それをいうなら、それを認めた県も県だ。県も連座責任がある。そもそもこんな誤魔化し上手の狡猾企業を80億円もの税金をつぎ込んで誘致した県知事からして責任問題だ。わざわざ大阪まで出向いて懇願したという話だ。呆れる」

 「それをいうなら、市も同罪だ。そもそも市がバイオ実験排水を公共下水道に受け入れると認めたから、「水質汚濁」選定逃れにつながったんだ。しかも、受け入れ容認は大清水協定違反でもある。こんな目茶苦茶な話があるものか。これは絶対に外してはならない。市長はリコールの対象だ」

 「そうだそうだ。市長も県知事もリコールだ。タケタに対しては、不買運動だ。企業を締め上げるには不買運動に限る」
 例によって議論は脱線しかけた。

 「今は外せないものの議論だ。リコールや不買運動は後回しだ」
 珍しく脱線防止の装置がすぐ作動した。

 「誤魔化しに長けた狡猾体質については、開発許可や建築確認をとった時のやり口も外せない。鎌倉側の敷地について開発許可をとった時、事前相談では調整池の設置の必要をひた隠していたものだから、鎌倉市は開発条例の適用をしないで、近隣住民の同意手続を抜かして開発許可を出してしまった。正規の手続では、特に岡本地区で多くの近隣住民からの同意が必要だった。また、建築確認では、何とバイオ実験場の建屋を6つにも分割して申請し、新築なのに、全部を増築として建築確認をとってしまった。こんなつぎはぎだらけの増築重ねバイオ施設では、それだけでもう危なっかしくて、近づくことさえできやしない」

 「開発といえば、このバイオ実験場建設が引き金となって、村岡新駅構想が再燃したことも外せない。JR東海道線の大船・藤沢間に、かつての貨物駅の跡地を利用して新駅を設置しようという目論見が、区画整理を嫌う地元の猛反発をくらって頓挫していたと思ったら、このバイオ実験場建設で息を吹き返してきた。まったく阿呆らしいったらありゃしない。わずか5q弱の間隔の大船・藤沢間にもう一つ新駅を造るなんて、沿線利用客の不便をますだけのことで、もともとふざけた考えだったのだが、バイオ実験場建設と組まされて、バイオ実験場の目の前が新駅ですなんて事態になったら、とんでもないことだ。バイオハザードが発生したら、バイオ汚染物質が東海道線を通じてたちまち日本全国に伝播してしまう。この新駅とバイオ実験場の組合せを考えたのも県知事らしい。もう完全に狂っている。これは外すわけには行かない」



      32.


 「それもそうだが、ちょっとみなさん、忘れてはいませんか。バイオハザードの問題なのだから、もっとも外してはならないのは、ペパフィルターの性能の問題だ。P3レベルまでの遺伝子組換実験においては、ミクロン単位の微粒バイオ汚染浮遊物が実験装置内の空気中に発生することは避けられない。そこで、微粒バイオ汚染浮遊物を捕捉して、実験室外にバイオ汚染が波及しないように物理的に封じ込める必要がある。その封じ込めの決め手となるものが、このペパフィルターだといわれてはいる。しかし、捕捉率が100%ではない。わずかではあっても、洩れる。洩れれば、人家に近い所だと、バイオの特性で増殖しだしたらパッと増える。だから、人が多く住む町中では物理的封じ込めなんていうことは原理的にできはしないんだ。それをできるかのように説明するのは、詐欺だ。タケタには詐欺的体質もある」

 「もっとも外してはならないのは、ペパフィルターの性能の問題と同時に、その外し方の問題だ。ペパフィルターにも耐用期間があるから交換を要する。その交換時が一番危ない。下手に交換操作を誤ると、重大なバイオ汚染につながる。ソ連時代にスヴェルドロフスク市(現エカテリンブルグ市)で発生した炭疽菌漏洩事故がその典型例だ。この事件では死亡者は多数に及んだが、発生後10年近く経過した後での調査だったため、正確な数はつかめない」

 意見は次から次へと噴出した。これでは「たまげた」項目50選も軽く凌駕する勢いだった。

 「みなさんの意向はだいたいわかりました。できる限り今出たような台詞が飛び交っても不自然でないような場面を設定して、手直しに努めますから、今日のところはこれくらいにして」
 速見は頃合いをみて話を引き取ろうとした。

 引き取りたい速見に対して、引き取られたくない人々はまだいた。

 「いや、まだこれこそは外せないということがある。それは、オートクレーブといわれる加圧高温蒸気滅菌装置の性能の問題だ。遺伝子組換実験の使用済み試料を処分する際このオートクレーブにかけるから安全だといわれているが、100%滅菌できる保障はどこにあるか。ペパフィルターの場合と同じで、どこにもないではないか。そもそも滅菌できたという検査をどうやってするのか。単に温度と時間の設定で、蒸し焼き滅菌できたとみなすだけのことではないか。そんなのは、目盛りの針がちょっと狂っただけで、もうおしまいだ。だから、これこそは絶対に外せない」
 速見の制止は、目盛りの狂った針の如くあっさりふりきられた。互いの発言が刺激となりあって、言い募りがますます高じていく相乗現象は、行き着く所まで行くしかないようだった。



      33.


 「掃除機や空調機にも付いているペパフィルターの性能・装着の問題にしても、また、加圧高温蒸し焼き滅菌装置のオートクレーブの蒸し焼き加減問題にしても、病原体の漏洩を防止するための物理的封じ込め策といわれているものだろう。その物理的封じ込めがなかなかうまくいきそうもないことは、指摘の通りだが、封じ込め策はこれだけではない。生物学的封じ込めというのもあって、これがまた眉唾ものだ。だから、これも外せない」

 「何だ、その生物学的封じ込めというのは。そんなもの、100ある「たまげた」項目の中にあったっけ。記憶にないぞ。どさくさにまぎれて付け加えるな」

 「いや、見落としということで。たまげた基準に照らしても適合するから」

 「そんなら、もったいぶらずにさっさと説明すべし」

 「それでは、そもそも生物学的封じ込めとは何かというと、実験材料の面での封じ込めなんだ。物理的封じ込めが実験室の構造や設備機器の機能などによって、病原体が実験室内外に漏洩しないように工夫することなのに対して、生物学的封じ込めとは、実験材料になる菌類等の宿主とウイルス等のベクターに関して、その組合せや組換体等を用意することによって、たとえ病原体が実験室内外に漏洩したとしても生存・増殖できないように工夫することなんだ」

 「そんな手品みたいな話、真に受けられるか」

 「それが、当の遺伝子組換技術を用いればできるというんだ。遺伝子組換実験用にする事前組換操作で、そういう事前組換操作が幾重にも重なっているらしいから、おったまげものだ」

 「そんなに遺伝子組換操作を重ねては、整形手術のやりすぎで顔がメチャメチャになるのと同じではないか」

 「それでも、そもそも目的が弱体化操作なんだから、それでいいということなんだろう。それに、相手は菌やウイルスなんだし、やりたい放題っていうわけ。そうやって生物学的封じ込めを強めることができたとみなすと、物理的封じ込めの方はその分手を緩めてもいいという理屈が出てくる。法的規制の姿勢はこの理屈で成り立っていて、以前は物理的封じ込めの厳しいP3レベルだったものが今や緩いP2レベルの実験として可能になっている。一般的にいって、実験設備や器材に頼る物理的封じ込めに比較すると、実験材料ですむ生物学的封じ込めは、費用や扱いの面で圧倒的に安いし手軽でもあるから、実験する側も生物学的封じ込めになびくことになる」

 「なら、狡猾なタケタなら真っ先にそっちに飛びつくわな」



      34.


 「まったくタケタは狡猾だから、おまけに飛びつき方も狡猾だ。たとえば、案に相違してアセスで大騒ぎになってしまったのを鎮静化するために地域向けに小冊子を作ったんだが、その中でこんなふうに言っている。「当社実験場での遺伝子組換実験においては、例えば、いずれも組換体のレトロウイルスやレンチウイルスを宿主やベクターとして用いますが、これらは自然条件下では自立的な増殖ができないようにあらかじめ遺伝子組換を施してあるため、二次的なウイルスを産生することはありません。従って、P2レベルで実験を行えば、周辺環境に対する影響はないと考えます」 この文章でタケタがいおうとしていることは、生物学的封じ込めの一環として組換体のウイルスを宿主やベクターとして使用するから、物理的封じ込めの面では厳しいP3レベルではなく緩いP2レベルでの実験でも大丈夫だということだ。この文章が狡猾なのは、<P2レベルで実験を行っても>というべきところを「P2レベルで実験を行えば」と表現しているところにあるが、より以上に狡猾なのは、ウイルス名を「レトロウイルス」とか「レンチウイルス」とかにしているところにある。こんな名称のウイルスは一般には知られていない。とかく危険視されがちなウイルスなのに知られてないということは、さほど危険なものとしては取り沙汰されてはいないということなのだろうと一般には思いがちだ。そこをタケタはねらったんだろう。実は、「レトロウイルス」とはRNA型のウイルスの総称で、その代表例はインフルエンザウイルスだ。「レンチウイルス」の方は「レンチ」=遅発型ウイルスの総称で、その代表例はエイズウイルスだ。地域住民向けの小冊子の中での表現なんだから、よく知られているインフルエンザウイルスとかエイズウイルスとかの方で分かりやすく表現すべきところを、そうはしないんだ。そう分かりやすく表現すると、たとえ組換体ではあっても、そんなウイルスを遺伝子組換実験に使って本当に安全なのかと、住民から疑問の声があがり反発を食うことを恐れたからだろう。それで、たとえあとで問題になったとしても、すでに小冊子の中でも説明済みの事柄です、インフルエンザウイルスは「レトロウイルス」に、エイズウイルスは「レンチウイルス」に含まれますという形で、言い逃れをする魂胆なんだ。まったくずるい」

 「そりゃ、ずるい。あのタケタにしてもずるすぎる。大ずるだ。それで、P2でそんなウイルスを使って実際だいじょうぶなのか?」

 「いや、危ない。たとえ組換体であっても、ウイルスなんだから、突然変異をおこしやすい。実験中に実験従事者が野生種を持ち込む可能性もあるから、その野生種と遭遇して組換体が野生返りする可能性だってある。その場合には、P2実験室でP3レベルの実験を行うのと同じことになる。怖いかぎりだ。だから、この問題も絶対に外せない。というよりは、付け加えるべきだというべきか」



      35.


 「生物学的封じ込めの講義は慎んで拝聴したから、今度は私にもいわせろ。タケタの用地は地盤としては問題だらけだ。その問題も外せない。あそこの敷地は、工場用地として造成する前は、付近一帯が水田だった。それも、水利についてはわざわざ用水路で引いてくる必要がないほど、水が自然に湧いてくるような湿地帯の水田だった。だから、水を抜くのに苦労するほどだった。そこに背後の丘の土を削って盛土し、造成した。その時だ、遺跡を破壊したのは。アリナキン製造工場の場合にはそれでも問題はなかった。工場の建屋は低層だったから、大地震が起きてもそれで倒壊する恐れは少なかったし、たとえ倒壊したとしても、アリナキン工場ならば、ニンニクの悪臭を周囲にまき散らす程度のことで、人命に多大な影響を及ぼすような心配はなかった。ところが、今度のバイオ実験場となると、話は違う。バイオ施設でバイオハザードが発生する要因はいくつかあるが、そのうちの一つに震災がある。地震で建物が倒壊するまでにはいたらなかったとしても、実験室の棚が倒れたり、壁や配管にひびが入ったり、窓ガラスが割れたりした程度でも、バイオ汚染物質の漏洩がおきやすい。バイオ施設とはそういう施設なんだ。その点、常に放射線漏洩を警戒する必要がある原子力発電所と同様に考えなくてはならない。だから、建物は頑強に造らなければならないだけではなく、下の地盤も頑強な所を選ぶ必要がある。それなのに、タケタバイオ実験場の場合は、付近一帯が元はずぶずぶの水田だった所だ。つまり、立地としては最悪の場所を選んだわけで、立地政策がなっていない。実際、市で作成したハザードマップでも、タケタの用地は大規模震災時に液状化が生じる恐れがある危険区域に指定されている。この事実をアセスにもとづく説明会の時に指摘したら、タケタ側は相当こたえたらしく、慌ててアセスの途中で地盤工事を変更してきた。トフトとかいう工法で地盤を強化し、液状化を防ぐというんだ。これによると確かに建物の真下だけは液状化を免れるようだ。その代わり、建物の真下以外の付近一帯の液状化現象は一層激しくなるおそれがある。早い話、自分さえよければ他は知ったこっちゃないというタケタジコチュウ体質の現れだ。この地盤問題も外してはならない」

 「それなら、私にもいわせろ。立地をいうなら、こんな原発並みに危険な施設を湘南の町中に造ろうとする発想そのものが、根本的に間違っている。それは企業の社会的責任をうっちゃらかした、まるきりジコチュウーの権化だ。タケタは法令にふれるようなやましいことはなにもしていないというが、法令にふれなければなにをしてもよいということではない。そもそも、こんな町中で液状化のおそれもある場所に、タケタバイオ実験場のような巨大バイオ施設を造ることに対して、立地上何の法的規制もないという日本の現状からして、根本的に異常なんだ。タケタはずるがしこいから、この異常事態につけ込んでいる。「たまげた」項目は、狡猾に長けたタケタや市や県についてだけでなく、日本政府・議会にまで広げる必要がある。この点も外せない」

 ここにいたって「たまげた」項目は日本の国政にまで及んだ。



      36.


 「ジコチュウーの権化といえば、自己中心主義自体は悪くない。私だってジコチュウーだ。タケタのジコチュウーが駄目なのは、それが自滅型のジコチュウーになっている点だ。こんな町中で液状化のおそれもある場所で巨大バイオ実験場を造り、実際に病原性新型ウイルスの漏洩事故でも引き起こしたら、どうなるか。補償騒ぎで大変なことになる。湘南は単に人口が密集しているだけではない。その住民が極度に高い権利意識を持っている。江ノ島鎌倉という集客力抜群の有名観光地もあり、高級住宅地としての評価や印象も高い。そうした場所での補償ということになると、単なる人的健康被害に対するものだけでも眼がくらみそうになる上に、やれ莫大な観光収入の激減に対する補償だとか地価暴落に対する補償だとかの問題も持ち上がり、とてもタケタ一社で対応しきれる額ではない。水俣病をひきおこしたことでチッソは多額な補償責任を長年背負って四苦八苦してきたが、タケタが湘南病をひきおこせば、補償額はその比ではない。タケタはたちまち倒産して、株券は紙屑と化す。つまり、企業の経営戦略なり立地政策としてみても、人口密集地の湘南のど真ん中に巨大バイオ実験場を造るなんていう選択は、東京のど真ん中に原発を造ろうとするのと同じくらいに、投資リスクが多すぎる愚策だ。タケタの現経営陣にはこんな経営上の初歩的判断能力もないから、困ったものだ。私はこれでもタケタの株主だから、一株主として一言忠告申し上げようと、先だって、わざわざ大阪まで出向いて株主総会に出席してきたんだ。そうしたら、どうだ、私の発言を封じにかかった。私が手を挙げっぱなしでいるのに、その私を指さずに、わずか数人の発言で質疑応答を打ち切りにしてしまった。あまりにもひどい議事運営だから、議長役の社長にたいして、起立して肉声のまま厳重に抗議すると、議事妨害という理由をつけて私を議場から強制排除する挙にでた。もうあきれたね。株主総会の場で企業の存亡にかかわるような株主の重要発言を封じにかかる企業に明日はない。自浄機能が停止し自滅していく運命にある。タケタのは自滅型ジコチュウーだ、これも外せない」

 「自滅型ジコチュウーといっても、まわりの我々まで巻き添えにするそれだから、たまったものじゃない。株主総会の場での社長による株主排除も暴挙でひどいが、そういう横暴体質は、単に上層部だけのものではない。魯迅曰く、暴君の臣民の暴は暴君の暴よりさらに暴である、と。上が暴だと、下はもっと暴になる。湘南に滞在するバイオ実験場建設現場責任者らの、工事説明会などの場での横暴ぶりは目に余るものがある。開発許可を申請する時には「鎌倉市開発条例」逃れを図っておきながら、藤沢市側の町内会向けの工事説明会を開催した時、何と「鎌倉市開発条例」の周辺住民規定を援用して、隣接50m以外の住民の入場を頑として拒んだのだ。藤沢市での催しに「鎌倉市開発条例」を援用するとはお門違いもはなはだしいが、そのくせ自己が遵守すべき場合には逆に「鎌倉市開発条例」逃れを図って恥じない。こんな恥知らずで横暴な企業は見たこともない。これも絶対に外せないことだ」



      37.


 「工事説明会のことなら、無礼千万な入場制限だけが問題ではない。入場したって、住所制限を設けて、発言を許さないとくるから、うっかりできない。発言はできても、質問・要望は後日回答しますと逃げて、いつになっても回答がない。そういうことがざらにある。大規模工事になるから、要望等をよくうかがいながら周辺住民のみなさんとはいずれ覚え書き等を結んで迷惑がかからないように善処しますと言っておきながら、その実、裏ではすでに町内会の幹部を集めて覚え書きに判子をつかせている。やることなすことすべてが汚い。不誠実きわまりない。ところが、その企業があろうことか誠実をタケタイズムとして掲げてもっともらしく自己宣伝するのだから、人を馬鹿にしている。こういう厚顔無恥な体質も外してはならない項目だ」

 「立地政策にもどれば、バイオ実験場建設計画でタケタが湘南工場跡地を選んだについては、社内でも他に対抗馬があった。それは地元大阪で新たに造成された彩都という工業団地だった。そこは、箕面市と茨木市にまたがる山の中で、バイオ専用として造成されたもので、なにかとつながりの深い地元でもあることから、タケタの巨大バイオ実験場建設計画にとってはおあつらえ向きだった。そもそもがタケタのその計画を見込んで行政が彩都工業団地を造成したふしもある。ところが、そこはバイオ専用として造成されただけに、バイオ施設に対するまっとうな規制を設けていた。一方、湘南にはろくなバイオ規制がなかった。アセスにしても、今の知事になってからとくに、抜け穴だらけになっていた。そこでタケタが下した選択が湘南だった。湘南は、厚顔無恥で狡猾に長けたタケタの規制のがれで選ばれたのさ。公害規制が厳しくなって以来、規制の緩い発展途上国に逃れていった日本企業の動向が、公害を輸出するものだとして顰蹙を買ったことがあったが、タケタの選択は、そういう公害輸出の国内版だ。こういう規制逃れ型立地政策も外せない項目だ」

 「それなら、関連して、湘南工場跡地の土壌汚染問題も外さないでおこう。タケタが湘南を選んだについては、規制のがれの観点の他に、土壌汚染対策もあったと考えられる。なにしろ湘南工場跡地は長年製薬工場として使用してきた場所だから、さまざまな箇所で土壌が汚染されているにきまっている。これを他に転売するとなると、隅から隅まで汚染調査を実施して、汚染のないことの証明をつけなければならない。汚染があれば、それを除去しなければならない。その除去費用がばかにならない。下手をすれば土地売買価格をうわまわりかねない。それではやり損になる。ところが、自社で施設を転用して使うとなると、土壌汚染調査もずいぶん簡略化できる。その簡略化した調査でも県のずさんなアセスなら通る。アセスを通るとあたかも用地全体を土壌汚染なしのように装える。汚れた金の痕跡を消す操作としてマネーローンダリング(資金洗浄)があるが、ずるがしこいタケタの場合、アセスを利用してランドローンダリングをやったんだ。まったくえげつないったらありゃしない。この詐術体質も外してはならない」



      38.


 「なかなか意見はつきないようですが、わかりました、ではこうしましょう。今まで発言されたことも含めて、外してほしくない「たまげた」項目を各自で紙に列挙して、私に渡してください。上手くできるかどうか確約はできませんが、最大限盛り込むように努力してみますから」
 いつはてるとも知れない発言をなんとかおさめるためには、速見としてはこれが譲歩できる限界だった。とにかく、どうにかこの速見発言で、どうしても外せない「たまげた」項目選定言い募り騒動は、一応のけりがついた。

 とはいえ、とっさの判断によるこの譲歩は、速見に多大な犠牲を強いることになった。譲歩の結果生じた作業のため、速見の正月はつぶれたのだった。

 会合がおわった後には忘年会が予定されていた。速見は忘年会には出ないことにした。もともと酒を飲めない体質だったし、会合で背負ってしまった宿題が重くのしかかっていて、とても忘年会どころのさわぎではないという気分だったからだ。

 水底 紅と登黒真紀の二人もまた、忘年会には出なかった。八岐大蛇の神話以来、蛇仲間には酒は禁物らしい。

 忘年会組と別れると、三人は並んで駅に向かって歩きだした。

 「今日の会合は大変勉強になりました。この前もらった資料は一応眼を通してわかったつもりでいたけど、今日の話を聞いていて、ああそうだったのかとか、ええ、そんなふうにこの問題とあの問題がつながるのかとか、タケタバイオ実験場のさまざまな問題についてあらためて考えさせられた。それにしても、みなさん、すごいね。熱気むんむんというか、達者というか、世代でいうと、70年安保世代かな」
 水底 紅が感想を述べながら聞いてきた。

 「いえ、大方はその10年前の60年安保世代。私はちょっと離れていて70年世代だけれど。60年安保世代はみな元気ですよ。とてもついていけない」

 「60年代にしても70年代にしても安保世代は活力にあふれていて、うらやましい。私たち以下の世代になると、みんなもうどよ〜んと沈んでいる感じで、とくに若い人ほどその傾向がひどい。最近森嶋通夫の『なぜ日本は没落するか』を読んだけれど、社会・国の基礎は人にありという前提にたって、今の日本の若者の現状から判断すると、数十年後には日本は没落すると予測していた。まったくもっともだと思った。速見さんはどう思います」

 思いがけない水底 紅の問いかけに、速見は少々戸惑った。



      39.


「う〜ん、その人が優秀な近代経済学者で海外でも高い評価をえているとは知っているけど、その本は読んでいない。でも、私が教師をやっていた頃、それもまだなりたての頃からかな、今の生徒を見ていると日本はもう終わりだねという嘆きは、教師の間でため息まじりに出ていた。だから、それほどおどろかない」

 「それじゃあ、先生、私もそういう生徒の口だったかな」
 突然登黒真紀が二人の会話に割って入った。先生呼ばわりされた速見ははっとしたように登黒真紀を見つめた。

 「先生って、それじゃあ、君は……、いったいどこの高校でだった?」

 「ほ〜ら、やっぱり覚えていない。賭は私の勝ち」
 登黒真紀は水底 紅に向かって言った。

 「大清水高校でですよ。もっとも、私は高校では生物部にこもって蛇ばかり追い回していたから、それほど顔を合わせる機会はなかったけど、それでも、先生の授業だけはきちんと受けてたよ。内職もしないで、聞いていた。政治経済の授業で、神奈川県の環境影響評価条例の意義なんてことを力説していたのをまだ覚えている。その力説の仕方が面白いもんだから、みんなでアセスの鬼なんて綽名をつけて、面白がっていた」

 「それは大変失敬した。大清水時代だと、今からもう30年近くも前のことか。それじゃあ、とても覚えていられない」

 「嘘でしょう。忘れたのではなくて、最初から覚えなかったんでしょう」
 登黒真紀の指摘は鋭かった。事実、速見は生徒の顔と名前を覚えるのが苦手な教師だった。

 「速見先生、私のことも最初から覚えていないでしょう」
 今度は水底 紅までが速見の過去を追及しだした。 

 「えっ、貴女までが! まさか、しかし、また、どこで?」
 速見はうろたえた。

 「ほほほ、冗談ですよ。残念ながら私は先生に習った記憶はございません」
 水底 紅はいたずらっぽく笑った。

 「人が悪いな。からかわないでください」

 「それにしても、当時のアセスってずいぶん高い評価をえていたようですね。教師にアセスの鬼なんていう綽名がつくほどに。でも、今度のタケタバイオ実験場でのアセスの模様をうかがっていると、ちょっと救いがたいくらいひどい」

 「いや、その点をつかれると、面目次第もない。出来立ての頃の希望的思い込みと、何十年もたった後の暴かれた実態とでは、落差が大きすぎて、戸惑うばかりです。県のアセス条例ができたのは、全国に先駆けてで、国の法律よりも先だった。だから、教科書にも特筆されて、注目の的だった。けれども、国で法制化され、他の都道府県でも条例化されると、みるみる追い抜かれて、とくに今の知事のようなアセスちゃらんぽらんが行政の首座に座ると、全国で一番遅れたアセス県と陰口をいわれれるようになってしまった。情けないかぎりです」

 速見は深いため息をついた。



      40.


 「それでも、授業での生態系をまもらないかんという話はずいぶんためになった。それで蛇探しも声援されたと思った。心強かった」
 登黒真紀が速見の肩を持つような発言をした。

 「それはまあ、光栄だが、それにしても貴女も人が悪いな。今まで黙っているなんて。この前、喫茶店で会った時に、きちんと教え子だと名乗りでるべきだよ。隠して様子をみるなんて、人を試すようで、仁義にもとる。ヤクザでさえ、あいさつの時はきちんと仁義をきる」
 速見は登黒真紀に恨み言をいったが、ヤクザの仁義を援用したその理屈はまっとうには響かなかった。

 「しらばっくれるつもりはなかった。私が来る前にもう紅さんから明かされていると思い込んでいた。ところが、後で確かめてみると、そうでなかった。で、それじゃあ、せっかくだから、自力で思い出せるかどうか、賭けてみようということになって、私が勝った」
 登黒真紀は事実そのままを話すように淡々と話した。

 「そら、そういう賭の対象にするというのが、いけない。恩師といえるほどでもないが、少なくとも年長者だろう。年寄りをからかっては駄目だ」

 「それは、お互いさま。教え子の顔を覚えていない教師というのが、そもそも変。それこそ仁義にもとる」
 登黒真紀も負けてはいなかった。

 「そうだ、やっと思い出した。妙に理屈っぽくて、そのくせ蛇ばかり追いかけ回している変な女生徒がいて、手をやいていると、生物の教師が嘆いていたっけ。それが、君だったのか。ぜんぜん変わっとらんじゃないか」

 「へえ〜、真紀さんて高校時代から有名人だったのか。でも、それなのに、顔も名前も思い出せずにいたのですか? ずいぶんね」
 水底 紅が速見の矛盾をついてきた。

 「妙に理屈っぽい蛇少女の場合は、名前や顔をいちいち確認する必要があるような話題でもないから、名なし顔なしでの話題だった。それに、その時代はたしか1学年が12クラスもあって、しかも、1クラスに50人近くも生徒がいた。1学年600人弱だ。同じ学年に属しながら高校3年間をすごすうちで生徒同士でも相手のことがまったくわからないまま卒業していくなんていうこともざらにあった。教師にだって能力に限界がある。1学年12クラスの規模は大きすぎて学校のていをなさない」
 都合のよい言い訳を思いついたように速見は得意気味に解説した。

 「私も人目にふれることがあまりないシロマダラみたいなもので、噂にはのぼっても教師の眼にふれることが滅多になかった。紅さん、それだけのことだよ」
 登黒真紀は淡々とした態度にもどった。



      41.


 「そういえば、規模が大きすぎると組織のていをなさなくなるという問題が、あのタケタバイオ実験場についてもいえる」
 思いついたように速見が言った。

 「どういうこと?」
 水底 紅がきいた。

 「さっきの会合では話にでなかったが、実はあの実験場が人的構成上も巨大すぎるということも、「たまげた」項目には数えるべきなんだ。なにしろ、正規の研究員だけでも2000人はくだらない。それに補助職や事務員などを加えると3000人近くなる。そんな大所帯では組織としてうまく統制がとれなくなる。それに加えて、大阪の研究所と筑波の研究所を移転統合して湘南で巨大化するという構想なので、どうせ内部では部門間の主導権争いやみにくい派閥争いが生じるに決まっている。移転に伴う整理統合で摩擦も起こるし、こぼれる者もでる。男と女の問題はない方がおかしいし、移転時にはそれが噴出しやすい。バイオ施設でバイオハザードが生じる要因はいくつもあるけど、そのうちの一つにヒューマンエラーが考えられる。人間は完璧にできているわけではなく、必ず誤りをおかす動物だ。うっかりだけではなく、わざとの場合だってある。だから、人による誤操作は避けがたい。それで有害バイオ汚染物質の漏洩がおこることも想定しておく必要がある。3000人規模の大実験場だと、人による誤操作の確率は飛躍的に高まるに違いない。これは、1学年12クラス→3学年36クラス、生徒総数1800人の大規模校の惨状を経験したものとしての実感だよ」

 「なるほど、規模の経済とかで大きければ大きいほどいいというわけでは必ずしもないわけね。適正規模というか、なんだっけ」
 紅は真紀に救いを求めた。真紀は少し考えてから、紅に応えた。

 「スモール・イズ・ビューティフル、身の丈にあった技術」

 「そう、それだ、正解。それなのに、タケタは大きければ大きいほどいいと勘違いしている。あの実験場は虚仮威しにすぎない。太平洋戦争末期、出陣したらすぐ撃沈されてしまった巨大戦艦大和みたいなものだ」

 「そのこともやはり外せない「たまげた」項目に入れるの? 大変ね。ああいう台詞を入れる劇は本当に大変。ただ単に入れればいいというものでもない。どういう場面を設定するのか、実際に台本に入れる方はひと苦労なのに、みなさんは次から次へと言い募りだすし」
 水底 紅の言葉には同情の響きがあった。

 「まったくです。そのことを思うと、頭が痛い。この正月は返上かな」

 「それでも、やりがいがあっていい。この時期蛇は冬眠中なのでつまらない」

 「それは、お気の毒さま。速見さんもお気の毒さま。ついでに私もお気の毒さま。私もこれから先だっての講演を文章に起こさなくてはならないの」

 それぞれに気の毒な三人は、師走の雑踏の中を藤沢駅で別れた。



      42.


 案の定、台本作りに明け暮れて、速見の正月は悲惨だった。

 ただ幸いなことに、年末の会合で連絡会内に相乗的に噴出した外せない「たまげた」項目は、その後の覚書による追加を入れても、50選には達せず20あまりで済んだ。とはいえ、それらを不自然でない形で台詞として台本に組み込むことは、台本作りに精通しているわけではない速見にとって、至難の技だった。

 茫然自失のていで、速見は数日をすごした。ただし、年末の多忙な時をまったくの無為にすごすわけにもいかないので、妻との家事役割分担において担当となっている正月料理作りだけはおこなった。長年作りなれているだけに、半ば上の空でも、味付けに間違うことなく調理は進んだ。

 考えてみると、今かかえている台本作り問題と調理には共通する点があった。いずれも素材をどう活かすかが作り手の腕のみせどころだった。しかし、それにあまり凝りすぎると、かえって得体のしれないものが出現しがちだった。その点でも両者は似ていると思った時、速見はふとひらめきのようなものを感じた。

 外せない「たまげた」項目約20選は、多義にわたっていた。その各々の意義を活かすとなると、各々それにふさわしい場面を設定しなければならない。そうなると、単に場面の数が増えすぎるだけではなく、その場面場面をつなげる筋の構成にも支障をきたすことは、素人眼にも明らかだった。

 そこで、速見が窮余の一策として思いついたのは、料理にたとえていえば、ごった煮だった。つまり、一つ鍋にぶち込んで一緒くたに煮込んでしまおうというものだった。それは、外せない「たまげた」項目のその各々の意義を個々別々に活かすというようなことをはじめから考えない処理方法だった。決してごった煮にはできない正月料理をつくりながら、ああ面倒くさいと思ったことで、かえって発想されたものといってよかった。

 ごった煮案はこうだった。まず<第一段階 産めよ殖やせよ作戦> と<第二段階 大清水の舞台作戦>の間に、情報交換兼作戦会議の場を高津神社内に設定する。その場で、事務棟ならびに各実験棟をそれぞれ管轄する16匹によって、敵情視察報告の一環として、外せない「たまげた」項目16選を開陳させる。

 このごった煮案だと、筋書きの手直しは高津神社内に情報交換・作戦会議を挿入するだけですむ。配役一人につき1項目の割り当てだから、台詞を覚える上でも無理がない。ただ20あまりの項目を16に絞る作業が必要になる。絞り込み作業において、そもそもどうしても外せない項目として噴出したものを単純に切り棄てるとなるとえらい反発〜騒動を招く覚悟がいるだろうが、関連するものを一括りにするように工夫すれば、なんとか収拾がつきそうな見当だった。



      43.


 ほのかに見えだした展望の下、速見は「影取おはん」以下16匹に、外せない項目を割り振りつつ、それを16に調整する作業にはいった。

 速見が調整して作成した割り振りは、次のようだった。

  役名           項目
影取おはん  妖怪排気排水塔および遺跡〜文化遺産破壊問題
大清水おらん  実験系排水受け入れ・水質汚濁調査回避の大清水処理場問題
村岡おしん  村岡新駅とバイオ実験場との抱き合わせ開発問題
渡内おこん  ペパフィルターやオートクレーブの性能等物理的封じ込め問題
高谷おもん  菌やウイルス相手の生物学的封じ込め問題
柄沢おまん  アセス説明会等での隠蔽体質問題
大鋸おきゃん  情報公開法制をないがしろにする秘密主義問題
弥勒寺おえん  工事説明会等での不誠実・横暴体質問題
鵠沼おひゅん  立地政策無能の上に立つトフト工法による液状化激化問題
関谷おさん  バイオ施設への法的立地規制なしにつけ込む狡猾体質問題
植木おれん  投資リスク判断力なしを言論封殺で乗り切る横暴体質問題
岡本おりん  開発許可・建築確認等における狡猾体質問題
城廻おつん  バイオ規制逃れの公害輸出国内版問題
玉縄おにょん  土壌汚染隠しのランドローンダリング疑惑問題
小雀おちゅん  実験動物虐待・焼却問題
笠間おせん  過大規模バイオ施設での人間誤作動激化の問題

 外せない「たまげた」項目の役名への割り振り方には二通りあった。一つは適材適所にしたがって、関連を重んじた。「影取おはん」・「大清水おらん」・「村岡おしん」・「岡本おりん」への場合がそうだった。それ以外は、機械的割り振りだった。

 会合の場で外せない項目として意見が噴出したことを思い起こせば、台詞の中身はほとんどできているも同然だった。

 問題は、台詞の順番・配列だった。なるべく前後で有機的関連をもつように配列を考慮する必要があった。

 以上にト書きをつければ、台本は八分通りできあがったも同然だった。

 あとは、配役をどう決めるかだった。

 「影取おはん」と「大清水おらん」は水底 紅と登黒真紀の指定席といってよかった。そこに異論がでようはずがなかった。

 残りの配役をどう決めるか、それが問題だった。うっかりな決め方をすると、事態が紛糾する恐れがたぶんにあった。



      44.


 以前の連絡会の会合で、役者は連絡会員から募ることが合意されていた。台本を手がける速見としては、この役には誰をつけるかに無関心ではいられなかった。最後の詰めの配役如何で、劇のでき具合もずいぶん変わるような気がした。だから、全部とまではいわないまでも、ある程度までは腹案といったものを作りたかった。けれども、それが応募してくる者の思惑と違った場合、騒動は避けがたかった。何しろ相手は、日本製薬業界の筆頭をもって任ずるタケタに対して一歩も退かない気概をみせる、バイオ・シルバー・オタク連=BSOである。速見がごとき若輩者の意向がすんなり受けいれられるとは、とうてい考えにくかった。

 台本を手がけつつ、速見はなんとなく気重な気分で時をすごした。


 それでも、年明けて初の会合までに、速見はト書きと台詞まで整えた台本を、なんとか間に合わせることができた。会合では、筋書きの中に情報交換・作戦会議の場を新設して外せない「たまげた」項目を台詞として配列するというごった煮案に対しては、とくにこれといった異論はでなかった。

 出席者の主要な関心は、自分がどの配役の席につくかに傾いていた。それを決める段になると、やはり一悶着あった。

 「影取おはん」と「大清水おらん」の指定席については誰からも異論はでなかった。

 ただ、残り14+1の席については、どのように決めるか、その決め方から議論になった。

 まず、応募したい者の希望を募ることにした。つまり、自薦で席を埋めてみる。席が重なる場合には、希望者同士の話し合いで決める。誰も希望者なしの席の場合は、他薦にする。

 ここまでは、決め方も順調に決まるかにみえた。

 自薦から始めて他薦で補う方式で決める手順が落ち着こうとした時、異論が出た。それは、役名とそれに割り振られた項目との組合せが自分の都合にぴたりと合っていないため、席に対する希望がはなはだ出しにくいというものだった。

 それを具体的にいうと、自分は役名としては「笠間おせん」になりたいが、同時に項目としてはペパフィルターやオートクレーブの性能問題をしゃべりたい、こういう場合はどのように希望すればいいかという問題だった。

 この問題は一般化していえば、役名に対して希望するのか、項目に対して希望するのか、あるいは、その両方に対して希望できるのか、という問題だった。

 この問題は速見には意外だった。残りの14+1席については、希望者は今までのいきさつから項目に注目して希望するにちがいないと思い込み、役名に注目するとは予想しなかった。さらに意外だったのは、この問題を抱えている者が一人ではなく、複数いて、しかも、いずれも役名の「笠間おせん」に集中していたことだった。



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 いったいこれはどうしたことか?

 とにかく、役名「笠間おせん」に対する「タケタたまげた連絡会」における人気は予想外だった。どうやらその人気の秘密は、江戸趣味美人としての誉れ高き笠森おせん伝説の影響によるように思われた。70前後の男が笠森おせんもどきに、しかも、蛇身のそれになりたがって何になると速見は思ったが、希望する側にはまた別の言い分があって、共通していた。

 「若き早乙女太一ばかりが女形ではない。「下町の玉三郎」といわれた初老の梅沢富美男の例もある。どうせ化けるのなら、美しく化けたい」

 役名「笠間おせん」の席をめぐる熾烈な争いは、話し合いではとうていまとまらず、結局はジャンケン勝負で決着した。ただし、この人気席を手中に収めた者は、他の者からさらなる顰蹙を買うことを恐れて、項目についてまで希望を通そうとするわけにはいかなかった。

  「笠間おせん」の席以外は、さほど難航することなく決まった。ただし、一つだけ例外が残った。「タケタバイオ実験場建設現地総支配人 図々志」の席についてもよいという奇特な者がどうしても現れなかった。

 この「図々志」は、そもそも速見の台本においてぞんざいな扱いを受けていた。その台詞と動作について、16匹の台詞の各々に影ながら反応するといった程度のことしか記されていず、各々どういう台詞とどういう動作かは稽古の過程で考えるという扱いだった。「図々志」の不人気はそういうぞんざいな扱いのせいでもあるが、より根本的には、タケタ側の代表憎まれ役など、たとえ劇の中であっても、誰がやってやるものかという不動の意志が、「タケタたまげた連絡会」員の中にみなぎっていたからに違いなかった。

 「図々志」不人気問題に直面して、速見は当惑した。と同時に、このバイオ劇における「図々志」の重みも覚った。敵役不在では劇は盛り上がらない。それは、あたかも赤シャツ抜きの坊っちゃん劇のようなものだといえた。

 速見はこの道理をのべた。その上で、現実と劇とは一応別けて考えなくてはならない、劇中で見事に「図々志」を演じきることが、現実にも「図々志」に成り下がるわけではないと説得を試みたが、虚しかった。

 「そんなに「図々志」に重みがあるというなら、速見さん、そういう登場人物を造形したあんた自身がやったらいい。あんたはまだなんの役にもついていないんだし、台詞だって、でたとこ勝負で自分で考えればいい。ちょうど適任じゃないか。それが道理だろう」

 この発言で、速見以外はおおかた了承した。

 速見は、自分には大道具・スライド作成上映係の役があって代わってくれる者がないと抗弁をこころみた。けれども、台本の不備の責任は台本制作者自身が負うべきであるという議論が勝ちを制した。



      46.


 台本が決まり、配役もどうにか決着をみると、「タケタたまげた連絡会」は、「にせ・くれない・いなか・にわか蛇芝居/撃団BSO(仮称)」に衣替えして、各自稽古に励むようになった。

 稽古は、個別の台詞の覚え込みが中心だった。その過程で、台詞の手直しや追加を要請する声があちこちからあがった。それらの声にその都度対応することに速見は追われた。各台詞は独立しているようにみえて、しかし、微妙なところで絡み合うこともあるので、各人の持ち分の台詞だから勝手にどうぞというわけにも行かなかった。


 一方、タケタバイオ実験場の建築工事現場においては、その異様に巨大な建造物の全貌を日増しに露にしながら、内装と外構の両面においていよいよ仕上げにかかっていた。最後の追い込みとはいえ、連日連夜、深夜にまで及ぶ工事があたりまえになった。工事覚書の約束を反故にするようななりふり構わぬ突貫工事の連続は、相当あせっているという印象を外部に与えた。

 タケタバイオ実験場の竣工式兼開所式は、3月の彼岸の中日に設定されていた。年度途中ではなく3月の年度末に開所式を設定するのは、実験場勤務の研究員の家庭の事情を考慮したためと推定された。なにしろ、類例をみない巨大実験場なだけに、家族持ちの研究員も多く、そのうちで学齢児童のいる所帯も多かった。そういう多数の所帯がいっぺんに年度途中に流入されたのでは、地域の学校教育施設が収容しきれずに混乱におちいることは、目に見えていた。

 その種の混乱をおそれて周辺各市の教育委員会は、実験場勤務者の子女で学齢児童に該当する者については年度内に然るべき就学希望手続を済ませておくように各家庭に周知徹底するよう、強い要請をタケタ製薬にあてて出していた。

 実験場の開業に合わせて勤務者の家族が転居・転校等を済ませているのに、肝心の実験場の竣工式・開所式の方が予定日に間に合わないのでは、さまにならなかった。タケタが製薬業界の先頭を突っ走る威信にかけて3月の年度末の竣工式兼開所式を至上命令としたのは、そういう自社内外のしがらみからだった。

 そのようなタケタ側の内外の事情を推測しながら、「タケタたまげた連絡会」はその日を標的として定めた。

 しかし、春分の日を標的にするのは、日程的にはきつかった。その日にあわせてバイオ劇「蛇降る湘南新名所:魔界奇っ怪デッカイ実験場、その実、妖怪排気排水塔、妖気怪水空中散布の因果応報、奇想天外黒雲靡く十五夜臨月蛇身の面妖紅斑」の旗揚げ興行を開始するとすると、準備期間はわずか2カ月しかなかった。その間に、出演者は台詞を覚える等の稽古に励むだけではなく、張り子の蛇などの小道具の作成、会場探しや宣伝公告等の広報活動、知人縁故者等への通知等、さまざまな役割分担をこなさなければならなかった。



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 そもそも、「撃団BSO(仮称)」はにわかづくりの素人集団だった。演劇興行のイロハをまるで知らなかったから、ただうろうろして時を浪費することも多かった。そのイロハは、速見が頼み込んで、天文館詩子から伝授してもらった。

 それでも、「撃団BSO(仮称)」はめげなかった。素人集団にとっては無謀に近いと思われる旗揚げ興行の準備日程と役割分担は、確かにきつくはあったが、かえって「撃団BSO(仮称)」の人々におおいなるやりがいを与えた。ことに彼岸の中日という設定が彼らに与えた影響は大だった。いわれがあってその日が門出を迎える蛇芝居にとっては縁起がよいことこの上ないということで、験を担ぎたがる人々にあやしい活力を与えたのだった。

 人々にあやしい活力を付与したのは、水底 紅だった。紅は、稽古中のある機会をとらえて人前に立つと、まるで劇の中で台詞をしゃべるかのように語句のひとつひとつに言霊をやどらせる口調でもって、一座の人々を鼓舞した。

 「彼岸の中日に蛇の芝居を旗揚げできるというのは、大変意義深いことです。ちょうど春の彼岸の頃、「蛇、穴を出づ」といって、冬眠からさめて蛇は穴から出てきます。「蛇、穴を出づ」は、それ故、俳句では仲春の季語です。彼岸の中日に蛇の芝居を旗揚げすることは、自然の摂理にかなった大変意義深いことなのです。天地自然がわれわれに味方してくれることは間違いありません。その上、芸術もまたきっと味方してくれます。この彼岸と「蛇、穴を出づ」の結びつきを上手に使った作品が漱石の『行人』という小説です。その筋書きでは、兄の一郎が実弟の二郎に自分の妻の「お直」の正体を探りつつその貞操を試してくれと依頼します。二郎は「お直」の正体が蛇であるという想念にとらわれます。一郎への報告を怠ったことから嫌疑をかけられ、その嫌疑から逃れるために二郎は実家を出て下宿に移るのですが、ある日の晩、その下宿に「お直」が突然訪ねてきて二郎をたじろがせます。その日がちょうど彼岸の中日だったのです。こういう設定で「お直」が蛇であるとする二郎の想念が裏打ちされます。流石は漱石で、仕掛けが上手いですね。奇しくも春分の日にわれらが蛇芝居が旗揚げすることは、この漱石の仕掛けにあやかれるわけです。漱石に芸術の力をかりることで、バイオ劇「蛇降る湘南新名所〜」の成功は間違いありません」

 『行人』についての独自新解釈に裏打ちされているせいか、水底 紅は自信をもって言い切った。その眼も光った。単なる希望的観測としてではなしにこう言いきることができる水底 紅の気迫に、速見は羨望とともに一種巫女的な霊力を感じずにはいられなかった。

 けれども、速見自身は冷やかで懐疑的な男だった。水底 紅の気迫と自信には圧倒されるものの、その言葉自体には半信半疑だった。水底 紅のようにバイオ劇の成功を確信することはできなかった。そもそもなにをもって成功といえるのか、その尺度からして不明だった。

 そもそもがにわか仕立ての素人集団なのだから、とにかく精一杯やるしかない。成功の二文字に観客の入りや劇のでき具合やその評判などを結びつけて考えることはやめた方がよい。それらは二の次のことで、どうにか興行にこぎつけることができれば、それでよしとしなければならないというのが、速見の考えだった。



      48.


 速見のようにものごとを冷淡かつ悲観的に考える者は、周囲にはみあたらなかった。速見以外は、水底 紅の自信に満ちた予言によって鼓舞されて、多少とも心を奮い立たせたようだった。それはそれで、容易とは思えない物事を実行する上では、必要不可欠な心のありようともいえた。

 そうした奮い立つ心を持ち合わせていない点からいうと、速見は実際家ではなかった。単なる空想家でしかなかった。単なる空想家でしかないにしても、空想を途中で放棄せず、最後まで貫き通せるならそれでよいというのが、自己についての速見の意見だった。

 水底 紅は速見に比較するまでもなく、実際家だった。素人集団がバイオ劇に取り組むことは無謀であることを承知の上で、それを精神的に支える煽情家の役割を、苦もなく果たしていた。同時に彼女は、速見の創作した蛇芝居を全的に支持する空想家でもあった。この空想家にして実際家でもある水底 紅の存在によって、バイオ劇「蛇降る湘南新名所〜」が根底から支えられているというのが、速見の見立てだった。

 水底 紅は精力家でもあった。バイオ劇「蛇降る湘南新名所〜」の主役兼鼓舞役をこなすかたわら、彼女は本を出版した。それは、鎌倉漱石研究会の例会での講演記録を柱にした漱石論だった。書名は『漱石と蛇』と題された。その基本的な論点は、漱石作品の中で蛇がどのように描かれ、その描かれ方が作品にどのうよな芸術的効果を与えているかという観点から記述され、構成されていた。論考「巳どもは蛇じゃ お直の告白」はその中心的位置を占めていた。

 書名に漱石の文字が入っていれば、漱石人気にあやかってある程度はさばける見込みが立つから、出版社は出版に協力的だった。その漱石と蛇の組合せは、幾百とある漱石関連本の中でもほとんど無二の論点で、奇抜で物珍しかったから、出版社はなおのこと水底 紅に協力的だった。

 その本の著者が芝居の主役になるということで、芝居の方が引き立てられた。また逆に、芝居の主役が本を著したということで、本の方も引き立てられた。この相乗作用によって、水底 紅の名も、地域限定ではあっても、マスコミに注目されるようになった。

 水底 紅の名が広告塔になると、バイオ劇「蛇降る湘南新名所:魔界奇っ怪デッカイ実験場、その実、妖怪排気排水塔、妖気怪水空中散布の因果応報、奇想天外黒雲靡く十五夜臨月蛇身の面妖紅斑」や「にせ・くれない・いなか・にわか蛇芝居/撃団BSO(仮称)」(その実「タケタたまげた連絡会」)も地域社会に知られるようになった。少なくとも、けったいな住民組織が風変わりな劇団を立ち上げて、わけのわからん蛇芝居に打って出るらしいという噂の形では広まった。因みにその噂には、蛇芝居とは猿芝居の間違いではないかという疑問も付随した。



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 噂は地域に広まったものの、全国までは波及しなかった。「タケタたまげた連絡会」からはどんなに顰蹙を買ってはいても、タケタは日本を代表する製薬会社だった。その莫大な公告宣伝費は、新聞社やテレビ局におのずとタケタバイオ実験場増築問題に関する報道を自主規制させる方向に向かわせ勝ちだった。

 行政もまたタケタ側についた。タケタバイオ実験場を風刺し、その廃墟化を展望するような劇は、不埒でまかりならぬという理由は、露骨に表にはださないまでも、事務手続き上の不備を理由に、県や市が公共施設の会場提供を拒んた。

 「撃団BSO(仮称)」にとって、公共施設の会場提供拒否はこたえた。会場の手配がつかないことから、タケタバイオ実験場の竣工式兼開所式が予定される春分の日にぶつける形でバイオ劇「蛇降る湘南新名所〜」の旗揚げ興行を企画することを、一時は断念するほかない事態におちいった。
 この事態を救ったのは、天文館詩子だった。速見が最後の頼みの綱として彼女に相談を持ちかけた。すると、義を見てせざるは勇なきなりとばかり、彼女が動いてくれた。

 天文館も春分の日にはすでに予約が入っていたが、それがほぼ仲間内の音楽生演奏会の企画だったので、その企画にあった貸し空間を同業者の手づるで探したところ、運よく空きが見つかった。そこで交渉の結果、会場変更に伴う案内状の刷り直し等の手間もかからないことから、そちらに移ってもよいということで譲ってもらえたのだった。

 アートスペース江ノ島天文館はそれほど広くはない貸し空間だった。客席部分は、椅子なしで床に座って詰める形でも100人が入れば満杯で、身動きできない状態になった。舞台を広く設営すれば、客席数はもっと減った。

 当初の「撃団BSO(仮称)」の意気込みからすると、収容能力100人規模の劇場では狭すぎた。なにしろ相手方の竣工式・開所式の当日にわざわざぶつけて旗揚げを挙行しようという目論見だから、少なくとも300人程度の観客数を動員しようという意気込みで、みな張り切っていた。だから、天文館は観客収容能力の点で企画にあわないということで、最初から会場選定の対象から外れていたのだった。

 収容規模の点では天文館は依然として「撃団BSO(仮称)」を満足させるに足らなかったが、興行場所の点では好位置にあった。

 小田急江ノ島線の終点江ノ島駅の改札を出ると、橋の向こう正面に、円形に近い多角形のノッポビルが間近にみえる。ビルは10階建てでその一つの階を全面使用して、天文館は貸し劇場空間を形づくっていた。

 橋は境川河口に架かっていた。河口から10q程上流には大清水汚水処理場があった。大清水汚水処理場よりは下流の地点で、タケタバイオ実験場の付近を流れる柏尾川が境川に合流していた。



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 タケタバイオ実験場が稼働し、バイオ汚染物質の漏洩事故が生じた場合、それが大清水汚水処理場を経由するにせよ、柏尾川を経由するにせよ、境川河口に到達することは間違いなかった。境川河口はタケタバイオ実験場でのバイオ汚染物質の漏洩事故による被害を避けがたい位置にあった。

 境川河口は、上流からの土砂が沖に延びて砂州を発達させていた。陸繋島としての江ノ島は、この境川が形づくる砂州によって陸地と繋がるものだった。

 江戸期より景勝の地として名高い江ノ島海岸は、境川河口・砂州・江ノ島を結ぶ線によって、東西に分けられていた。東海岸・西海岸ともに、夏の季節には都内や近郊からの海水浴客でにぎわった。

 タケタバイオ実験場で漏洩事故が起これば、境川を通してこの江ノ島東西両海岸一帯が直撃をうけることは、地形上避けがたかった。

 タケタバイオ実験場とはこのような地形的因果関係にある境川河口に天文館は位置していた。まさにタケタバイオ実験場を撃つバイオ劇を旗揚げ興行するにふさわしい場所にあった。

 江ノ島天文館がバイオ劇の会場として急遽決まった時、場所に絡んで水底 紅は再び「撃団BSO(仮称)」の人々を文学的に鼓舞した。用いた材料はやはり漱石がらみで、今度は小説ではなく俳句だった。紅は大略つぎのように語った。

 漱石が学生時代、学友数人と東京から江ノ島遠足を試みたことは文献に残っていて、よく知られている。しかし、後年漱石が江ノ島を詠んだ句を残したことはほとんど知られていない。その句とは「漕ぎ入れん初汐よする龍が窟」である。

 明治30年(1897年)漱石30歳の時、当時熊本の第五高等学校(現熊本大学)教授だった漱石は、実父の死去に遅れて帰郷し、そのまま夏休暇を利用して一カ月程東京〜鎌倉間に遊んだ。鎌倉には流産後の妻が静養中でもあった。

 この時、鎌倉で幾つかの句を詠んだ。「冷やかな鐘をつきけり円覚寺」「来て見れば長谷は秋風ばかりなり」「仏性は白き桔梗にこそあらめ」である。これら3句とほぼ時期を同じくして、「漕ぎ入れん初汐よする龍が窟」は作句された。

 3句には句題があり、句自体からも鎌倉詠であることは明らかだが、「漕ぎ入れん〜」の方には句題がない。句自体にも一目で江ノ島を詠んだとわかる語句もない。だから、江ノ島との関連は取り沙汰されないまま放置されてきた。

 鎌倉と並ぶ観光名所の江ノ島にはさまざまな見所があるが、その一つに岩屋=海食洞がある。その岩屋はさまざまな別称で表現されるが、その一つに「龍が窟」がある。上五・中七の「漕ぎ入れん初汐よする」との組み合わせからみても、「漕ぎ入れん初汐よする龍が窟」が江ノ島の岩屋の情景を詠んだ句であることは間違いない。漱石は鎌倉だけでなく江ノ島にも足をのばしたのだろう。

 こう断じて、水底 紅はこうしめくくった。

 「龍は想像上の生物ですが、蛇から連想されたもので、蛇と同一視されもします。江ノ島の岩屋を「龍が窟」として間近に望むこの天文館を舞台にして蛇芝居を旗揚げ興行することは、まさしく「漕ぎ出さん初蛇芝居天文館」ではないでしょうか。勇気百倍、漱石が私たちの味方についています」



      51.


 水底 紅の鼓舞がどうあろうと、漱石が味方につこうとつくまいと、春分の日の当日になった。

 タケタバイオ実験場の竣工式兼開所式は事務棟にて午前10時から始まった。県知事を始め、関係自治体の首長らが招待され、儀式は華やかな雰囲気につつまれた。地元町内会の役員で声のかかった者は嬉々として祝い酒を味わった。取材のついでにその美酒のおこぼれを頂戴して喜ぶマスコミ関係者もいた。

 「タケタたまげた連絡会」は淡々としてその日を迎えた。というよりは、「撃団BSO(仮称)」としてバイオ劇「蛇降る湘南新名所〜」の旗揚げ公演準備に追われた。

 それでも、「タケタたまげた連絡会」は相手方の祝賀儀式の時刻に合わせて、挨拶代わりに実験場正門前で抗議行動を設定した。「撃団BSO(仮称)」としてバイオ劇に出演する者は、その蛇衣装で横断幕やプラカードをかかげながら正門前抗議行動に連なった。

 抗議行動の列には、蛇装束以外の動物のぬいぐるみもくわわった。いずれも、動物実験の対象としてこの巨大バイオ実験場で命を奪われていくと予想される動物たちを模したものだった。その姿での参加者は動物実験に反対する動物愛護団体の人々で、なかには外国人の姿も混じっていた。それを反映して、プラカードの文字も横文字で書かれたものもあった。

 抗議行動を済ますと、「タケタたまげた連絡会」=「撃団BSO(仮称)」に集う蛇衣装の奇妙な仮装集団は、長蛇の列をつくって舗道を歩きだした。それは、遠目からみて大蛇の行進にみえた。ただし、集団示威行動=デモ行進の届け出をしていなかったので、歩行は車道にはみださないように各自注意をおこたらなかった。

 大蛇の行進はところどころから手がのびて、道行く人に観劇を誘うビラをくばりながら藤沢駅に向かった。駅に到着すると、北口と南口の双方にある広場で、トグロを巻くような態勢をとりながら、宣伝とビラ配りをしばらくおこなった。それから、態勢を整えると、小田急線に乗り、江ノ島に向かった。江ノ島まで大蛇の行進を敢行する案もあるにはあったが、それでは体力が消耗して午後に予定されたバイオ劇の公演に支障をきたすということで、電車での移動ということに落ち着いた。

 終点の片瀬江ノ島駅に到着すると、その駅頭でも蛇衣装の奇妙な仮装集団はしばらくトグロを巻いていたが、やがて橋向こうのビルの中に吸い込まれた。



      52.


 天文館においてバイオ劇「蛇降る湘南新名所〜」は午後4時に開演した。

 午前中の抗議行動〜宣伝しながらの移動で、「撃団BSO(仮称)」はほとんどの者が疲れていた。昼食とその後の休憩をとり、幾分の疲労回復はあったものの、開演直前には最後のリハーサルがあったから、そこでまた疲れた。

 年齢に見合わない午前の強行軍で疲れた上に、ほとんどの者が初舞台だった。 日頃の練習も十分とはいいえなかった。それでも各人が受け持つ台詞については、各人による個別練習がなされていた。台詞そのものは、「タケタたまげた連絡会」の一員として日頃からバイオ実験場に対して抱いてきた疑問や意見であるだけに、覚えもよく、実感も込められていた。思いの外台詞が上手くこなせる、そのことがかえって各自に気のゆるみを生んだのかもしれない。台詞以外の動作がまったくおろそかにされ、稽古の対象にならなかった。

 問題は、合同練習の時間がほとんどとれないことにあった。おまけに、明確な形では舞台監督をおけなかったことにあった。

 速見は自らはその任ではないと考え、天文館詩子に舞台監督役を依頼してはみたが、彼女は多忙だった。多忙をかいくぐって彼女が顔を見せても、「撃団BSO(仮称)」の頑固な面々は、さして親しくもない彼女の注意・忠告を素直に聞き入れる耳をもたなかった。

 速見にしても、天文館詩子に任せきりにするのではなく、台本制作者として稽古の進行具合をみるために、合同練習を設定し、呼びかけては見た。けれども、集まりは悪かった。集まった者も、その場を個別練習の延長のように考えて、台詞の稽古に熱中した。そのため、ほとんどの者が身のこなし方がまるでなっていないことに気づかないまま、公演当日を迎えることになった。

 ことに台詞一辺倒で身のこなしゼロの弊害が露呈したのは、情報交換・作戦会議の場面だった。さすがに「影取おはん」役の水底 紅と「大清水おらん」役の登黒真紀は別格だったが、各発言者の連携がとれず、台詞の番に該当していない者は手持ち無沙汰にその場にいるだけという状況を呈した。

 もとよりその場面は、どうしても外せない「たまげた」項目として噴出したものを、速見が窮余の一策としてごった煮風に調理したものにすぎなかったから、台詞だけで走り勝ちになる場面ではあった。それにしても、味付けはあってしかるべきで、味付けのないごった煮では観客に訴える力は弱かった。

 要するに、バイオ劇の出来は、決してほめられたものではなかった。とにかく、途中でとりやめにならず、終幕までどうにか持ちこたえることができただけでも、さいわいだった。

 収容しきれなかった場合にはどう対処したらいいかが心配の種だった観客数は、事前の広告宣伝活動の甲斐なく期待を大幅に下回って、天文館の収容能力にちょうどみあうものだった。



      53.


 マスコミの反応はさまざまだった。

 速報性があるのは日刊紙だった。
 日刊紙の中には、午前中の抗議行動をも含めて演劇公演の企画を事前に報道し、当日についても抗議行動や演劇公演の現場取材の記事を載せた新聞社があった。その新聞社はバイオ実験所建設計画が県の環境影響評価にかかって以来、バイオハザードを懸念する住民の声を紹介する記事を折にふれては紙面に載せてきた。その反面、沈み行く夕日新聞のように、「タケタたまげた連絡会」=「撃団BSO(仮称)」による抗議行動〜演劇公演については一切ふれずに、バイオ実験場竣工式兼開所式のみを慶事としてとりあげた新聞社もあった。

 演劇公演をとりあげた場合でも、取り上げ方にはずいぶん差がでた。年配・素人ながらのバイオ劇への挑戦に好意をもって評価を加えた論調の記事があった反面、どちらかといえば、年寄りの冷や水とか素人の猿芝居とかの印象をにじませる冷やかな論調も目についた。

 日刊紙のほかに、テレビ局やラジオ局からも取材には来た。収録された録画録音が実際に放送されたかは、そもそもが一過性のものなので、誰も確認できなかった。放送されたとしても、その程度の扱いにすぎなかった。

 日刊紙にしても、また、テレビやラジオにしても、マスコミの反応は、あった場合でも、せいぜいが県内の地元の範囲に限定され、決して全国的な範囲に及ぶものではなかった。

 報道範囲が全国に及ぶ可能性があるのは、週刊誌や月刊誌だった。
 世にはびこる週刊誌も各誌の系列記者が何人か取材に来てはいた。ただし、記事となって紙面を飾ることになるかは、後日にならなければ、わからなかった。たとえ、記事になったとしても、そこでどのような扱いをされるか、知れたものではなかった。

 月刊誌の中には、一つだけ「タケタたまげた連絡会」が期待をよせるものがあった。それは、病院経営者向けに政治や経済にも絡めた医療情報を提供することを趣意とする雑誌で、その種の情報を集積して提供するという意味で『集積』を名乗っていた。

 『集積』は以前から人口密集地に巨大バイオ実験場を建設する非常識を問う特集を連続して掲載していた。製薬業界と緊密な関係のある医療業界向けの専門雑誌であるだけに、『集積』がこのような特集を組んでタケタ製薬の製薬企業としての企業責任を追及する勇気を示したことに、それこそ「タケタたまげた連絡会」は勇気づけられたのだった。

 その『集積』の記者もまた、春分の日の諸行事には取材にきていた。ただし、タケタバイオ実験場の竣工式兼開所式の慶事には列席することを拒まれた。理由は単純だった。『集積』がタケタ製薬にとって都合が悪い事実を遠慮なく書き立てるからだった。

 『集積』は、抗議行動・演劇公演報道の面でも「タケタたまげた連絡会」の期待するところとなった。けれども、速報性はなかった。

      54.


 バイオ劇の公演後、数日たって、「撃団BSO(仮称)」(その実「タケタたまげた連絡会」)でその反省会がもたれた。主役の水底 紅と登黒真紀は都合がつかず、欠席した。

 バイオ劇に関わったほとんどの者は、観客動員数が当初の期待を大きく下回ったことや、マスコミの報道姿勢も期待通りではなかったことで、落胆の色を隠せなかった。費用対効果を考えるまでもなく、もう演劇はこりごりだと放言する者もいた。

 「労多くして益少なし、そもそも演劇はもの好きのすることで、住民運動の活動形態にはあわない。今後は手をひくべきだ」
 開口一番のこの主張が、議論の行方を大きく方向づけた。

 「いや、準備期間がいかにもなさすぎた。合同練習の機会ももっととるべきだ。
マスコミ対策も弱かった。寄り合い所帯のわれわれの弱点がもろに出た感じで、致し方ない。今後のことはしばらく考えたくない」

 「舞台があんなにあがるものとは思わなかった。開幕したら、もう頭はまっ白け。台詞も何を言っているのやら、わからずじまいに過ぎていく。リハーサルで場数を踏んでおけばよかったと思ったが、後の祭りだった。まったくお祭り気分で乗り出してしまったが、もう少し冷静に考えるべきだった。いかにも軽率だったと深く反省している」

 「観客があんなに少ないとは思わなかった。そもそも3月末の江ノ島海岸では人出は少ない。あれなら、駅前の屋外でやった方がまだましだ。午前中の抗議行動の方がよっぽど観客が多かったんじゃないか」

 「まったく人を呼び込むより人の大勢いる所へこっちから出向く方がよっぽど楽で合理的だ。やはり、街頭行動の方がわれわれの運動には適している」

 「取ったアンケートはまだ集計中だが、回収率はよかったものの、ざっとみたかぎり、劇に対する印象や評価はあまりよくない。バイオハザード劇がオカルト風に誤解・曲解されているむきもあるくらいだ」

 「そもそも、タケタバイオ実験場の開所式に対抗するものとしてこの演劇公演を企画したこと自体に無理があったんだ。開所式は春分の日で、その日は「蛇出づ」、だから、蛇芝居だ、というわけで、突っ走ってきたが、たしかに春分の日の開所式と蛇はあっていたかもしれないが、開所式と演劇はあっていなかった。蛇に気を取られてこの点を見落としていたんだな」

 「要するに、蛇芝居の蛇という中身に魅せられて、芝居という形式のもつ限界といったことへの配慮が欠けていたということか」

 「蛇芝居でもってバイオ実験場の開所式なんか吹っ飛ばせという勢いでやってきたが、蛇ではともかく芝居では所詮無理なことだったんだな」



      55.


 反省というよりも、バイオ劇への否定的意見が相次ぐなかで、速見は違った感想をもっていた。

 「今まで取り組んできたバイオ劇に失望したという点で、みなさんの意見なり感想なりは共通しているようですが、私は違った感想をもっています。みなさんがやってみてバイオ劇に失望したというのは、やる前のバイオ劇への期待やら意気込みやらが強かったから、強すぎたからでしょう。そこがそもそも見直されなければならない点だと思います。もともと演劇は、というより、芸術一般はとした方がいいかもしれませんが、人々の心に深くに感銘を与えることはあっても、即行動に結びつくような即効的効果を期待できるものではありません。その上、稽古や準備に多大な努力を要する割りにはその効果がてきめんに現われてくれるというものでもありません。こうした観点に立てば、私たちのバイオ劇は決して失敗などではなかった。手放しで成功したとまではいえないけれど、素人の寄せ集め即席集団としては、まずまずの旗揚げ興行だったと胸を張っていいと思う。みなさんが言うほど、それほど落胆することではない。集めた観客だって、劇場に見合った数は集まった。決してがらがら空きではなかった。マスコミだって、一社だけでもまともに取り上げてくれる新聞があったのだから、捨てたものでもない。『集積』の記事はこれからで、期待がもてる。確かに開所式は吹っ飛ばせなかった。その代わり、いや〜な感じをタケタバイオ実験場の門出に与えたことは事実でしょう。なにしろ、バイオ実験場の屋上から無数の蛇が舞い降りる劇を、開所式と同じ日に対置することができた。それだけでもひとまずよしとしておいていいでしょう」

 口数の少ない速見にしてはこの日は珍しく能弁だった。日頃どうでもよいような話題の時には努めて口を開かない。その代わり、ここぞという場合には、人が迷惑がるほどにも論陣を張って退かない。そういう発言姿勢を速見は教師現役時代から身につけていた。

 「速見さんのいいたいことはわかった。せっかく速見さんが台本を書いて、とにかくわれわれが一丸となって取り組んできた蛇芝居だ。そう簡単にわれわれ自身が切り捨てることはよそうじゃないか。今後どうするかは、もう少し時間をかけてじっくり考えればいい」

 「そうさな。今後のことは、たとえば、各配役ごとに公募して、オーディションで競わせるという手もある。今度の旗揚げ公演の場合には、話が持ち上がってから公演までの期間があまりにも切迫していたので、とてもオーディションを企画する余裕がなく、自分たち自身で表の役を担い、裏方にもまわって、大道具から小道具の準備、会場手配から宣伝広告まで、すべてをこなすほかなかった。だから、正直、てんてこ舞いだった。みんながうんざりしたのは、そのせいもある。今後は、日程に余裕をつくってオーディションを実施すれば、われわれ自身は裏方に専念できて、だいぶ楽になる」

 速見発言に動かされてか、自称演劇好きが前言を翻してバイオ劇存続の方向へ話を転換した。



      56.


 「オーディションをやるって、それはいったいどういうことだ? それではわれわれは舞台にでられなくなるのか。それは大問題だ。それでは劇をやる意味がまったくない」
 オーディションと聞いて、素早く反応を示す者がでた。これで、バイオ劇存続の流れが定まった。

 「いや、オーディションには一般人だけではなく、われわれも応募できるようにすればよい。その際には、審査の公平が疑われるような事態だけは避けなければいけないが。それに、すべての配役をオーディションにかけるというわけでもない。たとえば、「影取おはん」とか「大清水おらん」は指定席で、オーディションの対象外だ」
 もう一人の自称演劇好きがさっそくバイオ劇存続話に絡んできた。

 「それでも、オーディションの対象になった役は、一般応募人との競り合いに負けて、われわれの方が振るい落とされることがあるわけだろう。それはちょっとなあ」

 「自分らが企画する劇に出たいのに、よそ者に譲って出られないのは、納得できないという気持ちはわかるが、それをいいだしたら、オーディションができなくなる。オーディションには、単に役者の確保というだけではなく、その実施が劇の宣伝広告にもつながるという側面があることも、見落とせない。一石二鳥は魅力的だよ」
 速見発言以来、議論の流れはすっかりバイオ劇存続の方向へ傾く同時に、脱線しかけていた。。

 「そのオーディション云々のことは劇の今後のこととして、後日ゆっくり検討するとして、今日は反省会なのだから、そこに話を戻すと、水底 紅さんや登黒真紀さんがどんな感想をもっているのか、知りたい気がする。なにしろ、彼女たちが主役として劇を盛り立ててくれたんだし、稽古を通じて何かとわれわれを奮起させてくれた。今後のことを考える上でも、彼女たちの意見は貴重だろう。今日はたまたま都合がつかないということで二人ともみえていないが、言づけのようなものを聞いてないのかな、速見さん」

 「いや、なにも聞いていない。私も気になっていたから、折りを見て聞いておこうと思う」

 「それでは、よろしく。その報告もよろしくお願いします」

 こうして、この日の反省会は終わった。とにかくせっかく苦心して形作ってきたバイオ劇が出だしの初演でとりやめにならず、何とか存続の方向で話が落ち着いたことで、速見はほっとした。そのほっとした気のゆるみが新たな苦心を招き寄せることになるとは、速見は気づかなかった。



      57.


 反省会での要請をうけて、速見は水底 紅と登黒真紀に会った。

 速見は反省会の模様を伝えた後、バイオ劇に関わった二人の感想をたずねた。二人とも、速見自身の感想と大差ない感想を述べた。

 「それでは、前から気になっていたことなので、尋ねますが、水底さんは、俳句の季語や漱石の作品まで援用して、彼岸と蛇芝居の結びつきを強調し、みなさんを励ましていましたね。公演会場が天文館に決まった時だって、そうでした。あれだけ力を入れて鼓舞した割りには、当日の公演の出来がはかばかしくなく、鼓舞と成果の落差がずいぶんあったと思いますが、その点をどう考えますか」

 「あら、落差なんてあったかしら。あれくらいの鼓舞をしたので、成果もあの程度のところにもっていけたとは考えられないの? 下手をすればあやうく公演中止の事態に追い込まれそうな練習状況だったでしょう。多少は発破をかけなければ。それは発破のかけ方がちょっとペダンチックすぎたかもしれないけれど。とにかく、挑戦状をたたきつけるかのようにいったん言い出した公演企画を途中で取りやめにするというのは、タケタをほくそえませるだけで、いかにも癪でしょう。それだけは避けたかったわけよ」

 「それでも、発破をかけられた方は、すっかりその気になって期待をかけ意気込んでのぞんだから、現実の思わぬ結果に直面して、落差というか、幻滅や落胆を感じた。それで一時はもう芝居はやめたという雰囲気にもなりかけた」

 「それはそうでしょうね。そういう気持ち、わかるわ。一所懸命やった後の、虚脱感ということもあるでしょうし」

 「なら、どうして? 実際、今後芝居はやめたとなったら、どうします?」

 「それは、間違ってもあるわけないでしょう。激励・鼓舞・発破もわれ関せずと、オダテとモッコに舞い上がりもせずに、きわめて冷静にことをすすめる速見さんのような方が存在するのだから」

 「ハハ、ちゃんと計算されている。動きがすっかり読まれているね、速見さん。さあ、どうする?」
 登黒真紀が脇から口をはさんだ。

 「どうする、こうするといわれても」

 「どうする、こうする、とか、計算する、とか、動きを読む、とか、そういったことでは全然ないでしょう。ただ単に道理を述べただけのことよ」

 「道理でね」
 登黒真紀と水底 紅は顔を見合わせて、ククッと笑った。速見は苦虫を噛みつぶしたような顔で二人を見た。

 「すると、蛇芝居のこんごの展望については、どうお考えで?」
 速見は話題を転じた。

 「展望か。展望の話は、先だっての公演での仕掛けがどう働いて、どのような効果を生んだか、しばらく様子を見てからでも、決して遅くはないでしょう」
 水底 紅が意味ありそうな口調で言った。眼はまた光って、速見を見つめた。



      58.


 「仕掛けって、なんの仕掛け? 仕掛けなんか、あった?」
 速見はきょとんとした顔つきで水底 紅を見返した。

 「あらら、仕掛けたご本人がおとぼけなすっちゃ、こまりゃんす」
 水底 紅は茶化した口調の割りには本気のようだった。

 「そんな、身に覚えのないことを言われても、困る」
 速見は本当に困惑したような表情を示した。

 「紅さん、そんなにじらさないで、教えてあげたら。本当に本人が気づいてないだけかもよ」
 登黒真紀が救いの手をのべた。

 「それでは言いますが、蛇に願をかけて放つと願がかなうと言い伝えられる高津神社のことや、十五夜満月の夜の蛇の空中乱舞とか、バイオ実験場が廃墟と化すであろう予言とか、あれらが仕掛けでなくてなんなの? みんな速見さん自身が台本の中に書き込んだことですよ」

 「ええ、確かにそう書きました。しかし、ただそれだけのことです。仕掛けでもなんでもない。劇の本筋そのものです」

 「あくまでそうおっしゃるのなら、仕方がないわね。しかし、それなら、あの劇そのものが仕掛けです。それも大仕掛けです。それは認めざるをえないでしょう、どう」

 「そこまで言われてしまえば、確かにそうですが。劇は仕掛けそのものです。しかし、劇が仕掛けだという意味と、先程水底さんが願掛け蛇とか蛇の空中乱舞とか実験場の未来の廃墟化について仕掛けだと言った意味とは、たぶんにずれているんじゃないですか。まったく同じだとはいえないでしょう」

 「では、その違いをはっきりと言ってみてよ。教えてくださいな」

 「つまり、違いとは、一方は隠された意図などない開けっ広げな装置で、他方は隠された意図のあるたくらみ、といったところかな」

 「それでは、速見さん、あなた、隠された意図などなかったといいたいわけ?本当にそう? <願掛け蛇が空中乱舞して未来は廃墟と化す実験場>、これだけ条件がそろっているんですよ」

 「ええ、ただそれだけのことです。他意はありません」

 「たとえ、あなた自身がそうであったとしても、観客は、観る側は、そうは受け取らない。受け取れない。そこになんらかの暗示、というよりは、強烈な教唆を感じずにはいられない」

 「キョウサ? 教唆煽動の教唆?」

 「そう」

 「教唆なんて、そんな馬鹿な」



      59.


 「馬鹿でもなんでも、一般に創作は、産み出されてしまうと、作者の意図を超えて一人歩きしがちなものよ。作者の意図などお構いなしに、そこに記された表現が唯一絶対となる。創作する者は、その覚悟を決めて表現に立ち向かわなくてはならない。これが基本。あれだけのことを劇の中に書き込んでしまった以上、教唆煽動の意図はなかったといっても、通らない。影響は必ずでる」
 水底 紅は自信たっぷりに言った。

 「話が飛躍しすぎる。影響といったって、たかが一度劇を観たくらいで影響されるような、そんな酔狂な者が今の日本にいるものですか」

 「甘い。今の日本だから、影響は必ずでる。神社仏閣をめぐる願掛けおまじない人気、学校やトンネルに出没する心霊スポット騒動、ホテル・マンション・病院・研究所・工場・鉱山・線路などの廃墟探検過熱、これらが今どんなに流行っているか、ご存じないの? 万葉の時代から風光明媚で歌枕にもうたわれた紀州和歌の浦が、近年廃墟リゾートの名所にもなったほどよ」

 「いや、そういう騒ぎがあるということは噂に聞いているけど、そういうマニアックな人々とは私たちの劇は無縁でしょう。同じ日本にいても、そもそも住む世界が違う。接点がまるでない」

 「それがあるのです」

 「しかも、おおあり。はい、私がその接点、その証拠。私こと登黒真紀は、蛇に引かれて廃墟探検マニアでもあるのです。願掛けや心霊スポット騒ぎにはまだ加わっていないけど」
 名乗り出た登黒真紀はあっけらかんとしていた。

 速見はうろたえの色を隠せなかった。

 「まさか、水底さんまでが?」
 はっとしたように速見はたずねた。

 「ご安心なさい。私自身はそれらのマニアではありません。けれども、周りにいる知人や友人は、真紀さんのようになぜかマニアだらけ。先だっての公演にも面白い劇だから観に来るようにと誘ったら、真紀さんや私が出るせいもあってか、けっこう来てくれた。観客の2〜3割はそういう顔ぶれだったんじゃないかな。面白いから台本がほしいとせがむ者までいた。速見さんて、その種の人々から脚本家としてけっこう注目されていたようよ。だから、注文にはコピーして応じた。あら、そういえば、断っていなかったわね。いけなかったかしら?」

 次々に明らかとなる新事実に速見は唖然として返答ができない様子だった。

 「形勢は圧倒的に速見さんに不利ですね。紅さんの判定勝ち。作者の意図をはるかに超えた仕掛けの影響は早晩でてくるとみて、まず間違いはありますまい」
 登黒真紀は妙に改まった口調で判定を下した。その判定に、敗者の側の速見からは異議は出なかったが、勝者の側の水底 紅からは出た。



      60.


 「真紀さん、判定はまだ早い。もう一つ証拠を出していない。判定はそれから。それでは決定的な証拠を示しましょう。劇の演題に「蛇降る湘南新名所:魔界奇っ怪デッカイ実験場、その実、妖怪排気排水塔、妖気怪水空中散布の因果応報、奇想天外黒雲靡く十五夜臨月蛇身の面妖紅斑」とあります。念のため確認しておくと、これは速見さん自身が考案してつけた題ですからね。他の者が押しつけてできあがったものではありません。いいですね。では、この蛇のように長い演題の先頭にある「蛇降る湘南新名所」の、「新名所」とはなんですか? その後に続く「魔界奇っ怪デッカイ実験場、その実、妖怪排気排水塔、妖気怪水空中散布の因果応報、奇想天外黒雲靡く十五夜臨月蛇身の面妖紅斑」のことですが、言い換えると、<願掛け蛇が空中乱舞して未来は廃墟と化す実験場>のことです。そうですね。これを「新名所」と謳うからには、そこに人々の興味と関心をひき、呼び込もうとしている。そうですね。では、<願掛け蛇が空中乱舞して未来は廃墟と化す実験場>などを「新名所」と認め、そこに興味と関心を抱くような者とは、どんな人々か。決して普通一般の人々ではないですね。それは、先程話題になった、願掛けおまじないマニア・心霊スポットマニア・廃墟探検マニア以外のなにものでもないでしょう。そうですね。つまり、速見さんの台本は、その演題からしてこれらマニアックグループが好んで飛びつきそうなものだったのです。彼らから速見さんが脚本家として注目され、台本を欲しがられる所以です。もっとも、速見さんはそんなつもりはなかった、ただ単にバイオ実験場が住宅地とは共存できないおどろおどろしい性質のものだということを誇張したかっただけだとおっしゃりたいでしょうが、それは言い逃れ、強弁です。それは通しません。以上をもって最終にして最強の証拠提出を終えます。お待たせしました、それでは真紀さん、公正なる判定をお願いします」
 念を押しつつ畳みかけるようにして、水底 紅は最終弁論を終えた。

 「速見さん、なにか反論はありますか? ハイ、ないですね。それでは先程の判定を取り消します」
 何を思ったか、登黒真紀は前の判定を否定する旨を宣言した。

 「判定は紅さんのテクニカルノックアウト勝ちです」
 より水底 紅の側に偏った判定を平然と下して判定者の役を果たすと、その勢いで登黒真紀は水底 紅に向かってハイタッチの仕草をした。水底 紅はそれに応じて二人は掌を合わせた。

 「まったく、恐れ入谷の鬼子母神とは、このことか。水底さんて、鬼子母神でもあったのか。演題はだいぶ悪のりしすぎたな」
 速見はぼやくように自省の念を洩らした。



      61.


 「まあ、そんなにしょげないで。書いて発表してしまった以上、取り消すわけにはいかないんだから、仕方ないでしょう。あとは成り行きをまつしかない」
 登黒真紀がなぐさめの言葉を言った。

 「で、もう反応はぼちぼちでているんでしょうか」
 気を取り直して、速見は気になる点をたずねた。

 「それはまだこれからよ。公演が終わってからまだ一週間と経っていないんだもの。まあ、そんなにあせらずに」

 「どんな反応がでるのかな」

 「やはり、気になりますか? たのしみね」

 「いえ、たのしみで尋ねたのではないのです。予期しないことだったので、少々心配になって」

 「心配? 心配することでもないでしょう。期待されているんだから。ゆったり構えていればいい。あっ、そうそう、反応といえば、あの劇の続き、第二幕はどうなっているんだっていう問いかけが一つだけあった。どうするの、その予定。目安でいいから、いつくらいと答えておけばいい?」

 「どうするって? その予定って? どうするも、予定も目安もなにも、あったもんじゃない。あの劇はあれで幕です。おしまい。第二幕などありません」
 速見はいつになく過敏に反応して、断言した。

 「えっー、だって、ものごとはまだ始まったばかりでしょう。無数の蛇が宙を舞って、それでおしまい? その後どうなるの? それでおしまいにされては、たまらない。これは責任問題です。作者としての責任放棄もはなはだしい」

 「そうね、蛇仲間には譬えとしてもけしからん表現だが、蛇の生殺しみたいな感じかな。こういう中途半端なやり方がいっとうよくない。怨みが倍加する」
 登黒真紀も水底 紅に加勢した。

 「そんなこと言っても、台本の草案をつくって説明したときには、そんな意見は全然でなかった。蛇の空中乱舞で幕と書いてあって、それに異論をはさんだ者は誰もいなかった。その場には水底さんも登黒さんもいた。あれで終わり、続きはなしは、みなさんが了解済みのことです。これは譲れない」

 「いえ、譲ってもらいます。あの時は、間近に迫る彼岸の公演に向けて、切羽詰まっていたでしょう。台本が間に合うか、みな心配していた。待ちに待って、ようやくできた。だから、とにかく第一幕だけでも完成してよかった、みなそういう気持だった。第二幕がないじゃないかなんて文句は、誰だって言えなかった。だから、言わなかっただけ。でも、今は状況が違う。時間の余裕はたっぷりある。第二幕が切って落とされる必然性があるわけよ」

 「そんな、無茶な。それでは、なにか詐欺かペテンにあって、だまされているみたいで」
 雲行きが怪しくなったせいか、不用意な言葉が速見の口をついてでた。



      62.


 「あらら、私たちが詐欺師? とんでもないことをおっしゃいますよ、速見さんて。とんだ言いがかりだわ、真紀さん、どうする?」

 「詐欺師・ペテン師は聞き捨てなりませんね、確かに。どうしましょう。どうにかしないといけませんね。だいいち、蛇仲間としての信義にもとる発言です」

 「そうは言っていないでしょう。ただ、どうもうまくだまされたような気がしてならないものだから。気にさわったなら、撤回します」

 「ほほほ、撤回はけっこうなことです。その撤回ついでに、我を張るのも撤回なさったら。そうして『猫』のようになってはいかがかしら? 『猫』なら、抵抗はないでしょう」
 水底 紅は猫なで声で謎のようなことを言い出した。

 「ネコ? ネコになってなんになる?」

 「すご〜く気が楽になります、きっと。それがいい、『猫』がいい」

 「冗談はよしてください、こんな時に。私はネコになんかなりたくない」

 「あら、『猫』がお嫌いで? 私は好きだな、漱石の『猫』って、漱石のすべてが詰まっているみたいで、読むたびに笑い転げてお腹がよじれるから、ダイエットにもなる」

 「なんだ、その『猫』のことか。漱石の『猫』なら私も好きです」

 「好きなら、いいではないですか、『猫』のようにすれば。『猫』は初回かぎりで終えるつもりで「ホトトギス」に掲載したのに、あまりの好評に気をよくして10回以上も連載することになった。そういう漱石の『猫』流儀のノリでいけばいいでしょう、そう硬く考えずに。漱石だってそうなんだから、まして速見さんなら、最初の心づもりがどうのこうのと、そんなことにこだわる必要はぜんぜんない」

 「なるほど、そういうからめ手だったんですか。しかし、そんなオダテとモッコには乗りません。まったく危ないところだった。『猫』は筋があってなきがごときものです。だから、伸縮自在。あの劇は筋がしっかりあって、ケリもついている。伸ばしようがない」

 「その発言、ちょっとまって。あれって、ケリがついていたっけ。蛇が宙に舞って、その後どうなるの? ぜんぜんわからない。それこそ中途半端。さっき、このことは確認したでしょう。紅さん、しっかりしないと駄目、誤魔化される。先生って、みな、言い逃れる技術の特訓をうけていて、うまいんだから」
 登黒真紀が脇をかためて、紅に加勢した。

 「ありがとう、気をつけるわ。そういうことです、速見さん。あの劇はケリがついていません。それをつけるのが、作者の義務です、責任です」
 水底 紅は逃しはしないという語調で速見に迫った。



      63.


 「義務や責任といわれても、困ります。創作は義務感や責任感からは産まれない。無理にしぼりだそうとしても、くだらないものに仕上がるに決まっている。とにかく、自由な態度で自然に湧き出てくるようでないと、ものにならない。この先、創作意欲が自然に噴出してくる予感がまるでない。だから、第二幕はありえない。第一幕であの劇は終わったのです」

 「そうかしら。たとえば、私などの創作力のない人間でも、あの後、何年か経っての廃墟という設定でもって、バイオ汚染が懸念される遺伝子組み替え実験室の廃止の問題がどうなっているか、といった視点から、筋を組み立ててみるなんていうのも、どうかしらと思うのだけれども、速見さん、どうかしら」
 人の気を誘う話術において、水底 紅は巧みだった。

 「それは、原発の廃炉の問題と似通った問題で、興味ある事柄で、……おっといけない、その手は桑名の焼き蛤で、いただけない」

 「ほほほ、興味があるなら、遠慮しなくてもよいのに。頑固な方ね」

 「今、創作意欲の自然の噴出の予感を感じたでしょ。インスピレーションまでひらめいたっていう感じ。ほら、顔に出ている」
 登黒真紀まで尻馬に乗り出した。

 「原発のうかつに廃棄できない廃炉の問題は深刻そのものです。費用の点でも解決策などあるはずがないから、当初設定していた耐用年数のままだと間近に迫ってお手上げ状態が白日の下になるので、ただ単に耐用年数を引き延ばして、問題を先送りにしているだけ。それでも、原発の場合はまだ廃棄するわけには行かない廃炉の問題があると認識されているだけ、ましでしょう。バイオ施設の場合は、どうなのかしら? 例えばP3レベルの遺伝子組み替え実験室の廃止の問題はそう単純に廃棄できないものとして、きちんと認識されているのかしら? どうもそうは思えないけど。速見さん、どう?」
 水底 紅はあきらめずに水を向けてきた。

 「おっしゃる通りだと思います。建物が廃墟と化すような場合には実験室は荒れるにまかせたままのほったらかしでしょう。ただし、今はもうそれ以上はいいません。口をつぐみます。何か、はたからねらわれているような感じがして、どうも落ち着かない」
 速見は登黒真紀の方をちらりと見やった。

 「ほほほ、まったく頑固で守りがおかたいこと。真紀さん、そうトグロを巻くと警戒心を募らせるだけよ。トグロを巻くのが獲物に飛び掛かる準備だという情報を、以前に伝えてしまってあるのよ。飛んだことをした、失敗、失敗、教えなければよかった」
 水底 紅は登黒真紀を制止するように言った。登黒真紀は背伸びする仕草で応えた。



      64.


 「とにかく、今の私にはあの台本の続きを書く気がまったくないのです。年末以来の台本作りとその後の公演準備・実行で疲れ切っている。だいたい正月がつぶれたのが一番こたえた。もう二度とあんな思いはしたくない。こりごりだ。第二幕がどうしても必要と思うなら、その上、それだけ筋書きなども着想できているのなら、ご自分たちでどうぞ、台本作りを試みてください。第一幕と第二幕で台本作者が違っていても、別に劇の上演には何の支障もないでしょう。かえって斬新な試みとして注目されるかもしれない」
 速見は堅い決意を示した。

 「そういう切り返しというか、開き直り、まったく同じ口調で同じ速見さんの口からどこかで聞いたようね。そうそう、思い出した。第一幕の台本作りを要請された時に確か使っていた。そうしたら、演劇好きの例の二人組がこう応えてた。口でしゃべるのと、文で記すのとはまったく別物で、自分らにはできない。人には天分というものがある。だから、頼むのだ、と。その二人の応えをここでもそっくりそのままお返ししておきましょう。天分に逆らうわけには参りません。あなたの好きな駒尺喜美さんだって、ひとの作品はたくさん批評はしても、決して自ら創作しようとはなさらなかった」
 水底 紅は、堅い速見の決意を柔らかくいなした。

 速見は、水底 紅のいう駒尺喜美云々には異論があって、その根拠を開陳したい衝動にかられたが、ここがその場ではないと、言葉を呑んだ。

 「そうね、第一幕の時と状況はまったく同じ。あの時も速見さんは拒んでいたが、結局は執筆した。今度の第二幕も結局はそうなる運命にある」

 登黒真紀の尻馬乗馬行為はやまなかった。
 「いや、あの時と状況が同じではない。あの時は「タケタたまげた連絡会」の会合での議論だった。今は三人だけだ。「タケタたまげた連絡会」の人々がその気にならない限り、そうなる心配はない。あなたがたがいなかった先日の反省会では「タケタたまげた連絡会」の人々は第一幕の公演にだって、ほとんど音を上げていた。第二幕なんて、聞く耳をもつはずがない」
 公演続行に否定的な意見が噴出した先日の反省会の模様を知る速見は、自信ありげに言った。

 「そんなの、簡単なことじゃん。今度の会合には出向いて、私たちが提案し、説得すればいいだけじゃん。みんな、わかってくれるって。すぐのってくる、まるでめげない人たちばかりなんだから」
 「タケタたまげた連絡会」員を見透かしつつ、速見にとどめを刺すような不穏な発言をしたのは、登黒真紀だった。



      65.


 登黒真紀が宣戦予告した通り、「タケタたまげた連絡会」の次の会合には水底 紅も登黒真紀も出席した。ただし、いきなり論戦は始まらなかった。バイオ劇に対する二人の感想・意見を聞く前に、前回では見送られていたアンケートの集計結果が報告された。

 アンケート集計結果は、次の通りだった。

 入場者約100人に対して回答者は70人程だったから、回答率は約70%だった。
問1のバイオ劇の主旨についての質問に関して、「よく理解できた」と「だいたい理解できた」を合わせて理解できたと答えた者は、30人に満たなかったから、回答者の40%だった。残りの60%は、「あまり理解できなかった」と「ぜんぜん理解できなかった」を合わせた理解不能組だった。

 問2のバイオ劇の継続公演についての質問に関して、継続すべきだと答えた者は、前問で理解を示した者を大幅に上回って55人に達していたから、実に回答者の80%だった。

 問3のバイオ劇に対する意見・要望・期待・提案等、自由に記してほしいという質問については、約半数の35人の者がなんらかの回答を寄せていたが、数の多い順に項目を整理して示すと、次のようだった。(括弧内が人数。総数が35を超えるのは、一人で複数の事柄を回答している人がいるため)

*中途半端な形で終わっているので、第二幕を要望する。(20)

*もっとオカルト色を鮮明にしてほしい。(18)

*バイオ関連の用語を分かりやすく解説するように工夫してほしい。(13)

*呪術の面をもっと掘り下げてほしい。(12)

*心霊現象を主題に据えてほしい。(11)

*廃墟探検を加味してほしい。(11)

*棒立ちの演技が目立ったので、もっとしっかり稽古に励んでほしい。(8)

*蛇芝居を標榜するからには、本物の蛇を使うように心がけてほしい。(5)

*蛇歌・蛇踊りを作詞・作曲・振り付けして歌と踊りを導入すべきだ。(5)

*バイオテロ〜アクションものに変形すべきだ。(3)

*荒唐無稽な筋書きが面白いので、荒唐無稽にいっそうみがきをかける。(2)

*真夏の公演では怪談お化け屋敷仕掛けを検討されたい。(2)

*悪役「図々志」をもっと活躍させてたたくべきだ。(2)

*スライド技術の向上を望む。(2)

*バイオ実験場正門前にテントを張ってそこで公演すべきだ。(2)

*全国公演の計画はないのか。(2)

*下北沢への進出を検討されたい。(1)



      66.


 アンケート集約結果が報告されると、まず問1と問2の数字の比較に話題が集中した。 それは、問1のバイオ劇の主旨についての質問に関して、理解できたと答えた者は30人に満たなかったのに、問2のバイオ劇の継続公演についての質問に関して、継続すべきだと答えた者が実に55人に達しているのを、どのように解釈したらよいか、という問題だった。

 問1と問2をつなげて考えれば、問2でバイオ劇を継続すべきだと答えた者のうちの相当数の者が問1ではバイオ劇の主旨を理解できなかったと答えていたということになる。簡単に言えば、理解できない劇の継続を望む声の存在である。通常なら、理解できない劇の継続などは望まないのが人情だろうから、理解できない劇の継続を望む声の存在はいかにも不可解に違いない。

 不可解な問題だけに例にもれず意見はさまざまに出された。アンケートの質問や集計の仕方の不備・回答者の錯覚や不真面目・果てはタケタ側の陰謀説など、思いつくままに打ち出されたが、それらを退けてこの奇問についての解釈を締めくくったのは、水底 紅だった。

 「たしかに理解できない劇の継続を望む声の存在は、常識的にはそれこそ理解できないように思えるけれど、むしろそれはこの劇の不思議な魅力を示すことではないかと思う。そうでしょう。理解できた人はもちろん理解できない人でも継続を望んでくれるのは、それだけこの劇に人をひきつける何かがあるからよ。そういうふうに素直に受け取って、自信をもって勇気づけられてこの二つの数字をながめると、不可解でもなんでもなくなるでしょう。不可解になるのは、自信もなく不安な気持でこの数字をうがちみようとするからよ。ここではうがっては駄目。素直になりましょう」
 速見の耳には、水底 紅のこの断定はやや手前味噌気味に聞こえたが、かといって明確に反論できる根拠があるわけでもないので、そのまま聞き置いた。

 すると、水底 紅は調子をあげて、さらに続けた。

 「このアンケートの回答者は本当に正直な人々ですよ。問3にはそれがはっきり出ている。ついでだから、問3に行きますね。問3は、選択式でなく任意記載式の問です。こういう形式の問に、これだけの人が応じてくれたのも驚きだけれど、記してくれた人の半数以上が、劇の第二幕を要求している。あの終わり方では納得がいかないと率直に意見表明している。これは貴重な意見です。これにはなんとしても応えなければなりませんよ、速見さん」

 いきなり水底 紅に名前を呼ばれて、速見はどきりとした。配られたアンケート集計結果に目を通しながら、いずれ問3の数値が水底 紅や登黒真紀との攻防戦の的となるだろうとは予想していたが、相手がこうも素早くここに着弾してこようとは思いも寄らなかった。

 「なんでいきなり藪から棒にそういうところに話がいくのかなあ」
 あわてながら、速見はささやかな抵抗を試みようとした。



      67.


 「決していきなりではない。問1から問2へと、アンケート集計結果を分析していき、きちんと順序をふんで問3に行ったのだから、水底さんは決して藪から棒にではない」
 早くも問3に移ろうとする水底発言を擁護する者が現れた。

 擁護の声に意を強くしてか、水底 紅は一気に核心に迫った。

 「問3で見るべき点は、やはり、20人もいる第二幕待望論者にどう応えるか、です。私もこれらの人々の意見とまったく同意見です。実は、私はこのアンケート集計結果をみるまでは不安だったのです。不安な気持でここにきたのです。第二幕待望の意見をみなさんに言って、もし賛同してもらえなかったら、どうしようと思って。あのバイオ劇を第一幕限りで終わりにしてしまうのは、いかにももったいないことです。そんなもったいないことになったらどうしよう。ところが、どうでしょう、このアンケート集計結果をみて、100万の援軍をえた気分になりました。本当に心強いことです。だれがどう考えても、これで第二幕は必要ないという論はなくなりました。あとは、速見さんがその気になって台本を書いてくれればいいだけです」

 第二幕をめぐり先日速見と激論を闘わしたことなどきれいに忘れたかのように水底 紅は澄ました顔で言った。アンケート集計結果は彼女に切り札を与えた格好だった。その切り札を彼女はためらいなく有効に使った。すでに勝負は決したとみてか、速見に態度表明を迫りもしなかった。

 機をみて敏なる水底 紅の速攻に、防衛線を張ろうにも、速見はいきなり内堀まで埋められたような格好で、なす術もない模様だった。

 「水底さんもそうだと思うけど、私も、この前のバイオ劇公演についての私たちの感想は、このアンケート集計結果が残らず代弁してくれていると思う。第二幕の上演は既定の方針です。議論の余地はありません。あとは、第二幕の趣向をどんなふうにするか、たとえば、このアンケートの問3の回答の要望にあるように、願掛けものにするのか、心霊スポットものにするのか、廃墟探検ものにするのか、はたまた、それらの組合せにするのか、組み合わせの場合にはその割合をどうするのか、などの選択問題が残るだけ。その判断は作者の速見さんに委ねる。それでいいんですよね、みなさん」
 登黒真紀が駄目をおした。

 「了解。頼むぜ、速見さん」

 速見にとって不運なことに、これ以外の声はおこらなかった。アンケート集計結果の数値は、「タケタたまげた連絡会」員にも多大な威力を発揮しているようだった。

 速見自身は、アンケート集計結果を巧みに駆使する水底 紅や登黒真紀に対してすでに反論する機会を失っていた。機先を制せられて、速見は一戦も交えることなく、水底 紅・登黒真紀連合による電撃作戦の前に敗退した。



      68.


 天文館詩子はおかしそうに笑った。

 「それは、まったくあの二人の作戦勝ちよ。速見さんはまんまとあの二人にしてやられたわけよ」
 天文館詩子はなおも続けて笑った。速見は憮然とした表情をくずさなかった。

 バイオ劇の第二幕上演について「タケタたまげた連絡会」ではなんの異論もでなかったが、台本作りを依頼された速見としては押しつけられた感じが残って、ふっきれなかった。第一幕の上演で天文館に便宜を図ってもらったことの礼もまだ済んでいなかった。その礼も兼ねて、第二幕の台本作成についての相談に速見は天文館を訪れたのだった。

 速見は先日の「タケタたまげた連絡会」の模様を話して、どうやら仕組まれたらしい印象を天文館詩子に訴えた。彼女の笑いと「あの二人の作戦勝ち」という判定は、速見の訴えに対する彼女の反応だった。

 「そうあけすけに言われてしまうと、ますます落ち込んでしまう。もう再起不能で、とても第二幕の台本を書くどころの話ではない」

 「まあまあ、そう気を悪くしないで、あの二人にしても、悪気でしたことでもないんだし。ただ、劇の第二幕をどうかして速見さんに書いてほしいと思って、その一心でやったことなんだから。私にしたって、二人から相談をうけた時、そのへんのところはよくわかっていたから、その相談にのったのだし」

 「相談? 二人が詩子さんに相談した? 何を?」

 「あれ、話していなかった? そうね。なにかと忙しかったから。確かあの劇の公演間近な時で、いろいろがたがたしていたから」

 「で、何を?」

 「いえ、大したことでもないのよ。速見さんに劇の第二幕の台本を書いてもらうようにするにはどうしたらよいかというようなことだったかな。私が速見さんと職場を一緒にしたことがあったという情報を聞きつけて、私なら速見さんの癖に通じているかもしれないと踏んで、相談してきたみたい」

 「ふ〜ん、まだ公演も済んでいないうちからか。用意周到というか、……いや、しかし、それは大したことだよ、少なくとも書かされる私にとっては」

 「あら、そう言われれば、たしかにそうね」

 「それで、どんな知恵を授けたんですか?」

 「そんな、知恵を授けたなんて、大げさな。ただね、速見さんて、ほほ、本人を前にして何ですが、案外気難しくて、頑固なところがあるから、正攻法では難しいかもしれない。けれども、人々の意見を聞く耳はもっている人だから、たとえば、アンケートなどを活用すると、うまくいくかもしれないと」

 「なに? アンケート? とる前からアンケートが話題になっていた?」
 速見はこわばった表情をさらに硬化させた。



      69.


 「そうそう、そうなのよ、たまたまその時アンケートの質問項目をどうするかということもちょうど話題になったばかりだったのよ。私って仕事柄、催し物でのアンケートのとり方など、傍でよく見ていると思われているでしょう、そういう見聞者として聞かれたわけ。そういういきさつがあったから、そのアンケートで第二幕を待望する回答が相当数でてくるようなことがあれば、いくら速見さんでもむげに拒絶はできないだろうというようなことは、話したかな。まあ、正面突破の正攻法は思いも着かなかったから、からめ手からの発想で、それもたまたま話題になったばかりのアンケートがそこにあったからひょいと飛びついたっていう、ただそれだけのことよ」
 天文館詩子はこともなげにその時の模様を説明した。

 「ただそれだけのことって、それは大変な入れ知恵だよ。私がしてやられたのは、思い起こせば、まさにそのせいだ。アンケートの裏面にそんな策がうごめいているなんて疑いもしなかったから、うかつにもその数値の前にすっかり萎縮してしまった」

 「まあまあ、そう立腹なさらずに。催し物の感想を尋ねるアンケートなんてごくありふれた試みなのだし、その結果を次の企画の参考にするというのも、当たり前のことでしょうが。二人はそういうアンケート活用術を忠実に実行しただけのことよ。そのアンケートに水増しの不正記入や集計上の操作などがあって数字自体が信用できないというようなことがあれば別でしょうが、まさかそんなことはなかったのでしょう」

 「アンケートを担当した係は別人だったから、たしかにそんなことはなかったに違いない。けれども、二人が知人や友人に依頼して自分らの望むような数値の結果がでるように働きかけた疑いは大いに残る」

 「それはたぶんあったでしょうね。現に私が依頼されたもの」
 天文館詩子はあっけらかんとして言った。

 「やはりね。で、どう応えたの?」

 「確かに依頼に応じるような格好になったけれど、それは、依頼された内容と、自分の考えが一致したからで、自分の考えを曲げてまで応じたわけではありませんよ。まあ、そこらあたりは微妙なところで、仕組まれたとかしてやられたとか思う速見さんには腑に落ちないところかもしれないけれど、でもまあ、アンケートのありようとしては許容範囲内なのではありませんか」

 「いや、どうもヤラセとかサクラとかいった臭いが残って仕方がない。そういう臭いがぷんぷんするうちは、心持ちが悪くて、とても原稿執筆など、手につくものではない」
 速見は鼻をぴくつかせながら言った。

 天文館詩子はおかしそうな表情を崩さず、速見の鼻を見つめていた。



      70.


 「どうにもこだわるんですね。でも、臭いなんて、おいおい消えて行くものでしょう。そういえば、そうそう、そんな臭いなんて吹き飛ばすかもしれないような手紙が届いてますよ。ちょうどよかった、ごらんになる?」
 思い出したように、天文館詩子はさっそく封筒を速見の前に差し出した。

 速見は封筒を手にとった。封筒には、「天文館気付 速見淀治様」という宛て名の脇に「タケタバイオ実験場内部資料在中」と朱書きされてあった。裏面をみると、差出人の名は記されていなかった。
 「切手も貼ってないし、消印も押されてないし、宛て先の住所もない。これ、郵送されてきたものではない?」
 ひっくり返して再び封筒の表を見ながら、怪訝そうに速見はたずねた。

 「そう。知り合いから手渡されたものよ。その知り合いの知り合いから頼まれたらしいの。先日の公演を見に来ていた人のようよ」

 「ふ〜ん、しかし、差出人の名が書いてない」
 またひっくり返して封筒の裏面を示しながら、ためらいがちに速見は天文館詩子の顔をみた。

 「中に書いてあるんじゃない? 大丈夫よ、開けてみたら?」

 「でも、本当に大丈夫かな。「タケタバイオ実験場内部資料在中」って朱書きされてあるけど、これだと、実験場内で生成されたバイオ汚染物質っていうことだってありうるわけで、うかつには開けられない」
 速見はなおもためらって、封筒を見つめた。

 「まさか、そんなものを送りつけてくるのに、わざわざそんな断り書きは書かないでしょう。それに、この封筒を仲介した知り合いも確かな人なんだし、そんなに心配なら、私が開けてみましょうか? どれ、貸してみて」
 天文館詩子は速見の手から封筒を取ろうとした。

 「いや、自分で開けるよ」
 ようやく決心がついたように速見は封筒の封を切った。

 速見は封筒の切り口を下向きに傾けて、おそるおそる振りながら、指でつかみだすことなく中身が封筒から滑り落ちるようにした。封筒からは、写真が2枚と便箋が2枚、振り出された。

 一枚目の写真には室内のほぼ全景が写っていた。そこにはゲージらしい棚がずらりと並んでいて、ゲージのなかには多数の小動物が閉じ込められているようだった。封筒の表に「タケタバイオ実験場内部資料在中」と添え書きされていたことから推測すると、その写真に写っているのは、動物実験を行っている部屋か、あるいは、その前段階の実験動物飼育部屋かと思われた。

 二枚目の写真にはゲージの一部が拡大されて写り、そこには多数のマウスが横たわって死んでいた。

 速見が2枚の写真から眼を移して便箋をのぞくと、そこにはこうあった。



   71.


 はじめまして。

 私は道成清美と申します。タケタバイオ実験場に勤める者です。

 先日の春分の日には、貴劇団による演劇公演を天文館にて社命により拝見しました。社命による拝見ですから、むろん敵情偵察の意味をもつ行動です。

 社命による任務は無事果たし、その復命報告も済ませてあります。

 その任務を遂行する過程において、私は貴劇団に対する先入観を一掃すべきことを覚りました。なによりもまず劇自体を楽しく観劇できました。気づいてみれば、我を忘れていました。あなた方は真面目によく調べています。私の勤めるバイオ実験場の問題点の核心をつく眼力を鍛え持つ方々だと察します。

 もちろん、社に対する復命報告の中ではこのような印象にはいっさい言及していません。私としても社内における今の地位を失いたくはありません。復命報告には上司の意に沿うような作文を施してあります。

 作文は作文として割り切って書きましたが、そうする一方で、このままでいいのだろうかと自問自答する声がわきおこるのを抑えることができませんでした。私も研究者の端くれです。その良心も失ってはいません。というよりか、失いたくはないのです。このまま黙っていれば、失うことになると思うのです。

 私は躊躇する自分を振り切ってこの手紙を出すことにしました。

 同封した写真は動物実験棟のある部屋を写したものです。その光景が何を意味しているかは、この手紙では記しきれません。それは、お会いした上で説明したいと思います。

 会って話したい事柄は、以上に尽きません。たとえば、実験場建設にまつわって建設業者や役人や政治家までがかかわった金銭のやり取り、それらは表にでれば社会的指弾をうけざるをえない性質のものですが、たまたまそうした動きを知ることができる立場に私はいました。

 もちろん、そのような情報は関係者多数の身の破滅に発展しかねない事柄ですから、扱いには慎重を要します。慎重ということでは、他人のことよりその種の情報をにぎる私自身の身の安全にこそ配慮する必要がありそうです。

 そうした事柄を考慮していただいた上で、時間を作っていただけないでしょうか。お会いする場所はなるべくタケタ関係者が利用しない所を希望します。たとえば江ノ島の女性センターなどはどうでしょうか。

 紹介が遅れましたが、私は水底 紅さんや登黒真紀さんと面識があります。旧知の間柄というわけではありませんが、インターナショナル・スネーク・クラブ・ジャパン(国際蛇愛好会日本支部、略称ISCJ)の会員として知り合いです。会談には彼女たちの同席がなにかと便宜かもしれません。なお、この件は二人には相談しておりません。二人によろしくお伝えください。

 こころよいお返事をお待ちします。連絡は、次の携帯電話にお願いします。



      72.


 「また、紅と真紀が絡んでいる」
 便箋から視線を外すと、速見はぽつりと言った。

 「見ますか」
 速見は便箋を天文館詩子に差し出した。2枚の写真はすでに手渡してあった。

 「みてもいいのかしら?」
 と言いながら、ためらうことなく天文館詩子は手紙を読み始めた。

 「これって、内部告発じゃないの。すごい」
 読み終えると、今度は天文館詩子がぽつりと言った。

 「この手紙を仲介してくれた人って、本当に確かな方?」

 「それは、確かな人よ。その人に問い合わせしてみる? でも、その人は確かでも、その差出人の道成清美という人まで保証できるかは、不確かね。内容が内容だから中身も知らされてはいないんでしょうし」
 天文館詩子の言うことはもっともだった。

 「ガセネタをつかませられるということでなければいいのだが」

 「会ってみるの?」

 「とにかく会ってみないことには、ガセネタかどうかも判断がつかない」

 「会うのならその前に紅さんや真紀さんに相談してみるのがいいわね。相手は二人に面識があるといって、同席まで提案していることだし」

 「それはそうなんだが……」

 「ははあ、またあの二人かということで、ひっかかっているのね。また、というか、まだ、というか、どっちにしても、なにか臭うわけ?」

 「いや、それとこれとは別だが。けど、やはりどこか臭う」

 「いやに臭いに敏感なのね。速見さんて、過敏症かもしれない」
 天文館詩子はおかしそうに微笑んだ。

 「いや、そうじゃない。実は私は大の蛇嫌いなんだ。図鑑でみるだけでもいやだが、実物に遭遇すると、ぞっとする。それなのに、何の因果か、その大嫌いな蛇がうじょうじょする蛇芝居の脚本を書かなければならない羽目になった。それもこれも元はと言えば、蛇好きのあの二人のせいだ。今度出現した道成清美という人も、二人との結びつきは、蛇だという。何かいや〜な予感がしてならない」

 「あら、速見さんて、蛇が嫌いだったの。てっきり好きであのような脚本を書いたのかと思った。……でも、蛇って鼬と違って臭いなんか出さないでしょう」

 「それは出さないと思う。しかし、臭う」

 「そう言えば、道成清美さんて、名前からして、どうなのかしら」

 「えっ?」

 「いえ、別に大したことでもないの。単なる思い過ごしね。気にしないで」
 天文館詩子は口を濁して、あとを続けなかった。








 〔作者より〕
 以上で作品の約6割です。残り4割でどのような展開をみるかは、出版物にてご確認ください。


         山影冬彦宛メール  yamahiko@cityfujisawa.ne.jp