その後、私どもの代では内科と精神・神経科そして東洋医学科となっています。
やはり森田療法をメインテーマに据えて取り組んでいました。
子供達の時代はどうなるか判りませんが、二人の男の子は医者になりました。
長女は高校の英語教師になり、国語の先生と結婚しました。
二人とも高校の先生をやっていました。女の子が生まれました。
その後とても残念なことですが、御主人が膵頭部癌で他界しました。
長女は高校の先生を続けながら子育てをしています。
長男は研修医を終え、リハビリ科に入りました。
慈恵医大の第三病院でリハビリ専門医になりました。
その後天本病院と湘南台病院に出向していました。
そしてこちらを継いで行くために湘南病院にて精神科修業をしました。
こちらには男の子が生まれました。
近いうちにこちらをやって欲しいとお互いに考えていました。嬉しいことです。
その為もあり、奥さんは以前から私どもと仕事をしていました。
ついに平成26年5月から私どもの診療所に入ってきてくれました。
二人医師の体制で診療が始まりました。
そして3年を経て、平成29年とうとう長男にバトンを渡すことが出来ました。
屋号は変わって、「鵠沼メンタルクリニック」になりました。
次男は総合内科医です。慈恵医大を卒業後京都の音羽病院に行きました。
結婚して、奥さんはやはり京都の徳州会病院に勤務しています。
二人とも同期で、次男は総合内科医に、奥さんは外科医になり、ともに
宇治の徳州会病院に勤めていました。今は次男は京都岡本記念病院に、
奥さんは宇治徳州会病院に勤務しています。先日次男は本を出しました。
二人とも元気で、二人目の子供が出来ました。二人目も男の子でした。
皆さんとてもよく頑張っています。
あとは皆さん次第です。とても楽しみにしています。
3人の子供達とその家族は我々に大きな夢と希望を与えてくれています。
元気でいてくれることにとても感謝しています。
いつのまにか年をとりました。もう還暦もとうに過ぎました。70歳になります。
でも、もう暫くは、何とかやってゆきたいものと思っています。
今後ともよろしくお願いします。