鶴井医院

開設以来番目のお客様です

自己紹介から始めます。地図はこちらです。

私は高岸 泰といいます。と書いて
トオルと読みます。
私どもは、父の代から神奈川県藤沢市で開業医をしています。
そして、半世紀を越えました。

父の代では、はじめは外科医院をやっていました。
父は慈恵医大の高田外科の出身で、バリバリの外科医でした。

その頃は私は小学生でしたが、両親がうちの手術室で
虫垂炎や胃切除などよくやっていました。
母が麻酔医を勉め、父が手術をするというパターンでした。
時代が変わり、その様な形態で外科の有床診療所を継続するには
資金的にも、設備面でも、人員配置においても困難になり、
途中で内科と神経科に転向しました。これは大転換でした。
湘南病院の竹山恒寿先生に弟子入りして森田療法を始めたのです。
これは卓見だったと思います。今でもその路線を踏襲しています。
母は内科・小児科と皮膚科をやっていました。
もと帝国女子医学専門学校(現東邦医大)の出身です。

二人とも精神保健指定医になっていました。
母は我々と同居しています。

その後、私どもの代では内科と精神・神経科そして東洋医学科となっています。
やはり森田療法をメインテーマに据えて取り組んでいました。


子供達の時代はどうなるか判りませんが、二人の男の子は医者になりました。
長女は高校の英語教師になり、国語の先生と結婚しました。
二人とも高校の先生をやっていました。女の子が生まれました。
その後とても残念なことですが、御主人が膵頭部癌で他界しました。
長女は高校の先生を続けながら子育てをしています。

長男は研修医を終え、リハビリ科に入りました。
慈恵医大の第三病院でリハビリ専門医になりました。
その後天本病院と湘南台病院に出向していました。
そしてこちらを継いで行くために湘南病院にて精神科修業をしました。
こちらには男の子が生まれました。
近いうちにこちらをやって欲しいとお互いに考えていました。嬉しいことです。
その為もあり、奥さんは以前から私どもと仕事をしていました。
ついに平成26年5月から私どもの診療所に入ってきてくれました。
二人医師の体制で診療が始まりました。
そして3年を経て、平成29年とうとう長男にバトンを渡すことが出来ました。
屋号は変わって、「鵠沼メンタルクリニック」になりました。

次男は総合内科医です。慈恵医大を卒業後京都の音羽病院に行きました。
結婚して、奥さんはやはり京都の徳州会病院に勤務しています。
二人とも同期で、次男は総合内科医に、奥さんは外科医になり、ともに
宇治の徳州会病院に勤めていました。今は次男京都岡本記念病院に、
奥さんは宇治徳州会病院に勤務しています。先日次男は本を出しました
二人とも元気で、二人目の子供が出来ました。二人目も男の子でした。


皆さんとてもよく頑張っています。

あとは皆さん次第です。とても楽しみにしています。
3人の子供達とその家族は我々に大きな夢と希望を与えてくれています。
元気でいてくれることにとても感謝しています。


いつのまにか年をとりました。もう還暦もとうに過ぎました。70歳になります。
でも、もう暫くは、何とかやってゆきたいものと思っています。

今後ともよろしくお願いします。

家族の紹介はあとの方のページでします。

私の趣味の一つは剣道です。






我々の似顔絵です。
以前鎌倉シネマワールドで書いてもらいました。
もう鎌倉シネマワールドはなくなってしまいました。
なかなか楽しいところでした。
閉館間際に行って来ました。
日本はもっと映像産業に力を入れるべきだと思います。
日本の文化や良いところを世界に知ってもらうには
どうしても映像表現が必要だと思っています。